HOME > Tateiwa >

事実への信仰――ディテールで現実に抵抗する

荻上 チキ・立岩 真也・岸 政彦 2018/02/01 『現代思想』2018-2

Tweet


 ※これからお知らせします。私としては、同じ『現代思想』2月号に掲載された以下と「対」にして読んでいただけるとよいかなと思います。

◆立岩 真也 2018/02/01 「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」,『現代思想』46-(2018-02):-

『現代思想』2018年2月号 特集:保守とリベラル――ねじれる対立軸・表紙

■目次

 ■事件および事件をめぐる言説への応答
 ■ファクト的カウンター+α
 ■螺旋状に上がっていく
 ■一概に言えなくしていく
 ■加害者を「理解する」ことへの躊躇い?
 ■ディテールを重ねる

■紹介

◆2017/01/29 「「事実への信仰――ディティールで現実に介入する」より・01――「身体の現代」計画補足・463」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2004798956453748
◆2017/01/30 「長谷川豊の一件:「事実への信仰」より・02――「身体の現代」計画補足・464」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005266839740293
◆2017/01/31 「統計的差別:「事実への信仰」より・03――「身体の現代」計画補足・465」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005307013069609
◆2017/01/31 「陣容を何段にも分けて…:「事実への信仰」より・04――「身体の現代」計画補足・466」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005314833068827
◆2018/02/01 「もう一つの相模原事件:「事実への信仰」より・05――「身体の現代」計画補足・468」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005448043055506
◆2018/02/01 「「拝啓池田総理大学殿」他:「事実への信仰」より・06――「身体の現代」計画補足・470」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005508726382771
◆2018/02/07 「「とにかく調べて書け」みたいなことしか言わない:「事実への信仰」より・07――「身体の現代」計画補足・472」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2009045442695766
◆2018/02/09 「螺旋というリアリティ?:「事実への信仰」より・08――「身体の現代」計画補足・473」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2010964655837178
◆2018/02/13 「事情を知るのは怖いか?:「事実への信仰」より・09――「身体の現代」計画補足・474」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2011630839103893
◆2018/02/15 「白黒つけたい:「事実への信仰」より・10――「身体の現代」計画補足・475」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2011883712411939
◆2018/02/19 「悪いことは悪い、そこはキープしておいて:「事実への信仰」より・11――「身体の現代」計画補足・478」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2026000631000247
◆2018/02/22 「体力がついたら戻ってこいみたいな:「事実への信仰」より・12――「身体の現代」計画補足・479」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2026008054332838


■引用 ※ときどき引用していきます〜引用の場所を変えたりするかもしれません

 ■螺旋状に上がっていく

岸 まとめサイト的なものの最大のものが「arsvi」でしょう。おそらく日本の社会学系サイトのなかでは最大ですよね。これは昔からつくっていたのですか。

立岩 はい。

岸 正しいデータをどこかに置いておく必要があるということですよね。

立岩 始めたのは一九九六年です。インターネットがそろそろ普及しようかなという時期ですね。
 持ち場というのがあるんですね。そんなに戦線拡大したくないのだけれどしょうがないからいろいろな場所でやらなくてはならない、みたいな話を先ほどしましたね。だけど、やっていたらきりがないわけで、今現在起こっていることについてはおまかせしたい。私は心弱い人で、毎日Twitterとかを見ていると気持ち悪くなってしまいます。なのであまりそういうことができない。また、今現在起こっていることはきちんと信頼できる言論人がちゃんと取り組んでくれているからまあいいだろう、みたいな気持ちもあります。
 先ほどのサイトの話に戻ると、学者というのはいっぱいいるわけだから、世の中のことは大概わかられているのではないかと人は思ったりします。だけど、ちっともそうじゃない。是が非かという話であるとか、本当なのか嘘なのかとか、どういう水準で本当なのか嘘なのかとか、そういう高級な水準の話もあるし、それはそれですごく大切です。しかし、それ以前にも結構ある。相模原で二〇一六年に事件が起こって、大変だということになって、本人が優生云々と口走ったというので、ナチスの話が出てきて、七〇年前の戦争のときに云々という話になった。これはこれで嘘ではないし、忘れている人や知らない人がいるならちゃんと言ったほうがよいことではあると思います。ただ、そのあいだにいろいろなことが起こっているのです。実は二〇一六年に起こった事件の一二年前に相模原で、もう一つの「相模原事件」とわずかな人たちのあいだで言われている事件がありました。母親が難病と言われているALSの息子を殺した事件です★。そんなことを今誰が覚えているのかといったら誰も覚えていないし、それについて論文を書いている人も一人もいない。そんなことは山のようにあります。それをまずひとつひとつちゃんと調べる。それはどういう意味があるのかとか、どういう水準で嘘なのか本当なのかとかいう話の手前の、単純なファクトが調べられていないのですから。
【★ 前掲『相模原障害者殺傷事件』、第T部「一つのための幾つか」第2章「障害者殺しと抵抗の系譜」第8節「二〇〇四年・もう一つの相模原事件」。】

 例えば六〇年代の前半から中盤にかけて、のちの日本の社会福祉・障害者福祉を前進させる、あるいはつくり上げる時期があったのですが、「自分の子どもがかわいそうだ」とか、「こういう人たちを救わなくちゃいけない」とか、そういうことを大っぴらに言って、総理大臣に公開書簡を書き、『中央公論』に載せ、さまざまを前進させたとされるその同じ人が、同じ年の『婦人公論』の座談会で「障害児が生まれたら生かすか殺すか国の委員会で決めるようにしたらよい」といったことを言っているのです。そういうことを知っているかといったとき、知っている人はとても少なくて困るのです★。「救え」と言った人が「殺せ」とも言っている。そうすると、ただ「殺すな」と言っても、いや、ただ「殺すな」とだけ言えばいいんだけど、それと同時に、「救え」と言った同じ人が「殺せ」と言ったとは一体どういうことかくらいのことは考えないといけない。そちらの流れにいないはずの人がそういうことを言っているという現実をどうするんだということを考えるためにも、「優生思想に基づく安楽死や殺人が昔ありました」というだけの話ではなく、そのあいだの何十年にいろいろなことが起こっているということを知ったり考えたりしなくてはいけないはずなのに、それらは実は素朴に学問のレベルでも書かれていないという悲しむべき状況にあるということです。
【★ 前掲『相模原障害者殺傷事件』、第T部「一つのための幾つか」第2章「障害者殺しと抵抗の系譜」第3節「一九六三年・『婦人公論』誌上裁判」。】

岸 立岩さんの東大社会学の先輩にはすごく有名な社会学者がいますよね。それこそ万能知識人みたく、あらゆることについて社会学理論で切り込む、みたいな。そのなかにあって立岩さんはすごく異端に見えるのですが、若い頃から医療・福祉や生命倫理のような領域にコミットしてやっていらっしゃいましたか。

立岩 いや、私は私で普通の社会学をやっているつもりです★。社会学は、一九世紀の終わりから二〇世紀にかけて世の中が変わっているとして、その変わっている社会とは何かということを考えるところから始まりました。最初に出した答えは、属性や身分によって編成される社会から、業績や達成、実力・能力によって編成される社会に変わっていったというものです。私はそれは大まかには間違っていないと思いますが、そのうえで一般的かつ社会科学的な領域も含めて、前近代的な身分や門地や性別などによる差別はよろしくないが、しかし能力や業績によって人に差がついたり価値づけられたりするのはよいことである、というのがくっついているわけです。それは本当なのかと考え出したのが私の仕事の始まりで、今もその続きをやっています。そういう意味で言うと、全然異端ではありません。社会学が最初に捉えた近代社会を捉え続けようとしているわけですから。ただそのとき、「昔はよくなかったけど今は基本的にOK」という構えとはまったく逆に、現在を、近代をどういうふうに言えるのかというのが私の仕事の課題です。
【★ 若林幹夫・立岩真也・佐藤俊樹編『社会が現れるとき』(東京大学出版会、二〇一八年二月)所収の立岩「でも、社会学をしている」。】

立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙


UP:2018 REV:20180127, 0202 ....
立岩 真也 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)