前回まで『現代思想』連載の第140回、「星加良司『障害とは何か』の1」
http://www.arsvi.com/ts/20170140
を、途中まで、分載した。「帰責性による解釈の処理」は掲載しない。『現代思想』まだ売ってます。よろしかったらどうぞ。そして、立岩真也編『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
の購入者には、この回の原稿を収録した増補版を無償で後日提供します。またお知らせします。
その次の回は「星加良司『障害とは何か』の2」
http://www.arsvi.com/ts/20170141.htm
その原稿、書いてはいたのだがなかなかものにならず、12月6日から11日まで、増田英明氏に同行してボストンに行ったその間に内職してすこしずつ進め、結局、帰りの飛行機でたぶん約8時間書き続け、ようやく(12日朝に)なんとか送った。それは『現代思想』の1月号に掲載される。以下はその註09。飛行機の中で書いたからむやりその註をつけた、というわけではない。
「★09 十二月に増田英明(日本ALS協会近畿ブロック会長他)がボストンでの国際的な集まりに参加し、私はそれに同行するとともに、その渡航費用――リクライニングの必要のためにビジネスクラスが必要で、加えて介助者用にもビジネスクラス一席が求められ、他の介助者分の費用を含め、二五〇万円ほどを要した――の調達のための活動にいくらか関わった。そこにはその費用の調達・支給のことをどのように考えるかという主題がある。その過程で幾つかのことを思い出すことがあった。その一つが本文で引用した横塚の文章だ。
その渡航は社会的な意義の大きなものであった。別の星加的な言い方をすれば、それが実現しないことによって(増田さん本人というより、同様の障害を有する人たち他社会全体に及ぼす)累積的な不利益が大きいことが予想される、だからそれが実現されるべきこと、その費用について募金にせよ税金にせよ社会的支出がなされることが正当化されることになるだろう。ただ本文に述べたのは、そのような主張の仕方を基本に置くのかということである。やはり普通の、たんなる娯楽のための旅行であっても、認められてよいと考える。その際、どのような費用負担がなされるべきかについては立岩[2012]で検討した。」
ボストンでどうだったのか、は次回以降に。
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20172452.htm
にもある。