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多くの大勢による仕事が要るし、既にいくらかはある:樋澤本に・6

「身体の現代」計画補足・440

立岩 真也 2017/11/20
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1972111526389158

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定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』表紙   樋澤吉彦『保安処分構想と医療観察法体制――日本精神保健福祉士協会の関わりをめぐって』表紙   有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙   立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙

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 樋澤吉彦2017/10/12『保安処分構想と医療観察法体制――日本精神保健福祉士協会の関わりをめぐって』
http://www.arsvi.com/b2010/1710hy.htm
に「不可解さを示すという仕事」
http://www.arsvi.com/ts/20170028.htm
という短文を書かせていただいた。
◇2017/11/26 「義務、だと思う:樋澤ts/20170028.htm本に・1――「身体の現代」計画補足・426」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1962581570675487
◇2017/10/28 「審査報告書再掲:樋澤本に・2――「身体の現代」計画補足・427」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1962581570675487
に続く、その分載の第5回。

 「■多くの大勢による仕事が要るし、既にいくらかはある
 あらためて、遅くなったが思考と議論を再開するために、停滞と、停滞している間の、気づかれない、あるいは気づいていないふりをし(ときにふりをしている間にいつのまにか)、または自らも気づいていないかもしれない変節があったというその事実を知ることだ。ふりをしていることを決めこんでいる人には△300 打つ手がめないかもしれないが、そんな人ばかりでもないだろう。知ること知らせることの意味はある。
 このごろずっと私は、「ただ知ること(→書くこと)が大切だ」といったことを言っている。それが必要な部分・領域がやまほどある、と思っている。
 なにかをてきとうに調べて、そして解釈して、なにか展望を示す。ほんとに短い学会報告や論部でそれをセットにして話したり書いたりしてしまう人がいる。いるというだけでなく、それが普通だというのか、とくに「支援関係の学」の大勢のようだ。もちろん、簡単に、短く言えるのならば、それはよいことだろう。だが世の中はそう簡単にいかない。だから、適当でなくまず調べる必要がある。そしてそれを私たちはほっとかないで、引き継ぐ。そのために買って、読む。一人、一つの本で全部やる、なんていう無理な、たいがいは半端に終わることをしなくてもよい。誰かが考えることを引き継ぐために、実際にあったこと(なかったこと)を書いて、本にして売って買って、読まれる。それに意味があるのだと思う。
 こうして、全体のまだ掘られていない部分を堀る。例えば保安処分〜医療観察法に医師の集団がどう対応したかは書かれているが、看護師についてはない。Pについてもない。看護師についてはより以前の時期についてになるが、阿部あかねさんが同じ研究科に提出された博士論文「精神医療改革運動期の看護者の動向」(2015)で書いた。そして本書で樋澤さんが書いた。「精神科のソーシャルワーク」についてもいろいろな描き方、いろいろに描く場所がある。吉村夕里さんの本『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるミクロとマクロのツール』(2009)があ。そして今、やはり同じ職業につきこちらの大学院で「相談支援」を巡るじつにややこしい制度のこんがらがりようを書き、博士論文に仕上げつつある萩原浩史さんがいる。これらが束になって、この領域のソーシャワーカーがいま置かれている状況、しているこ△301 と、させられていること、させてもらえていないことが明らかになっていく。そして、一つのことについても、幾種類かの仕事のある部分をやって、次につないでいく。誰かがあるいは自分が考えるために、起こったできことを記述する。それを受けて考える。学問が、増殖していくものであってよいとすれば、それは、こんな具合に覆うべき最低限を覆うためにある。ここが空いている、やってみたらいかが、といった周旋屋のような仕事は、じつは私はたいしてできない。大学院では「自分のテーマ」を尊重することになっており、こんなことをする人がいたらいいのにといったことは、ツィッターでつぶやくぐらいだ。
 結局、埋まるべきところが埋まるのを、気長に待っているしかないことになる。しかし私自身はそんなに気長な性格ではないから、いくらかじれったいところはある。そこで、こんな具合になされてよい仕事が分布している、こちらで研究してきた人たちの仕事はこんな感じで相互に関係していることを本等で示す。『生存学の企て』(立命館大学生存学研究センター編、2016)はそんな本だ。ただ基本的には、待っていて、手伝えるときにはすこし手伝って、よいものが出たらよかったと思う。そうした論文〜書籍はじつはじつにたくさんあって、みなここに挙げることはできない――右記の『企て』をご覧ください。この文章のように、単著の中に「おまけ」を載せてもらったもの二つだけ書名だけあげさせてもらう。定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝を中心に』(2011)に「関西・大阪を讃える――そして刊行を祝す」。有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』(2013)に「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」。そして、ここで書名をあげた本すべては生活書院から出してもらっている、から出版社名を略した。△302」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20172440.htm
にもある。


UP:2017 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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