HOME > Tateiwa >

よいではないか、と思えたのかもしれない、が:樋澤本に・5

「身体の現代」計画補足・439

立岩 真也 2017/11/18
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1971617889771855

438 < / > 440

Tweet


樋澤吉彦『保安処分構想と医療観察法体制――日本精神保健福祉士協会の関わりをめぐって』表紙   『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙   『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 樋澤吉彦2017/10/12『保安処分構想と医療観察法体制――日本精神保健福祉士協会の関わりをめぐって』
http://www.arsvi.com/b2010/1710hy.htm
に「不可解さを示すという仕事」
http://www.arsvi.com/ts/20170028.htm
という短文を書かせていただいた。
◇2017/11/26 「義務、だと思う:樋澤ts/20170028.htm本に・1――「身体の現代」計画補足・426」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1962581570675487
◇2017/10/28 「審査報告書再掲:樋澤本に・2――「身体の現代」計画補足・427」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1962581570675487
に続く、その分載の第5回。

 「■よいではないか、と思えたのかもしれない、が
 そうしたこととともに、医療観察法(的なもの)に関わるとはどんなことか、どんなことだと思っているのか、そしてそれとともに、Pの仕事はどんな仕事か、仕事だと思っているのか。
 犯罪を(再度)行なうことを防ぐ仕事もその人のための仕事であると思われる。それは間違いである、とは言えないだろう。次に、本人の「支援」には、ときに「押しつけ」「強制」の要素が含まれる、これも、仕方のないこととして認めざるをえないと思われる。本書の最初のほうでも書かれているように、樋澤さんがこちらの大学院の前期課程――修士課程相当、樋澤さんは日本福祉大学の大学院で修士号をとっていたにもかかわらず前期課程からこちらの大学院に入ってきた――で研究したのもパターナリズムについてだった。パターナリズムは否定しがたい。
 両者を組み合わせると、Pが医療観察法に賛成し、そして関わってもよいのではないか。そしてその仕事を自分たちは(他の人たちよりも)うまくやれるのではないか。こういう思考があったこと、あることは、考えられる。このような「連続性」があって、そして、前述した(前述しかけた)なにかしらの利害・思惑が絡んで、「変化」「変節」が起こった、のかもしれない。△299
 しかし、ではなぜ、自分たちは、保安処分に反対していた(してきた)のか。それを考えていくなら、そうするっと話が通る(変わる)ことはない。よいではないかと思われたことは再度くつがえされる、すくなくともおおいに疑問だということになるはずなのだが、その辺はどうなっていた(いる)のか。その思考の回路はたんに働かなくなったか。本書を読むとまるでなかったわけでもないようだが、しかしその思考・議論の回路は実効的に作動しなかった。素朴に疑問ではあるし、不思議がっているだけでも仕方がないのなら、今さら、戻って考えることもできる。すると一九七〇年代に言われた反対論・慎重論にいくらかを足した方がよいのかもしれない。私は私で、今年のはじめに出してもらった杉田俊介さんとの共著『相模原障害者殺傷事件』(青土社)の第1章「精神医療の方に行かない」ですこし考えてみた。一つに、本人のための仕事をすることになっている人が、本人のためでない理由(他害の抑止)で強制に関わるという位置にいるなら、それは本業の妨げになる、だからよくないといったことを述べた。これに反論の余地がないわけではない。ただ、そのことも含め、既にいくらも言われたことも含め、まだあるかもしゃない論点も含め、考えることができる。考えられることなく、すくなくとも表立って議論がなされなかったことも含めて、考えることができるし、考える必要がある。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20172439.htm
にもある。


UP:2017 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)