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不如意なのに/だから語ること・1

「身体の現代」計画補足・429

立岩 真也 2017/10/30
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1962957733971204

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『現代思想』2017年11月号 特集:「エスノグラフィ――質的調査の現在 [岸政彦責任編集]」・表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]
 「エスノグラフィ――質的調査の現在」が『現代思想』11月号の特集。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#11
https:/twitter.com/ShinyaTateiwa
などでも紹介している。  拙稿はそれとは別の連載(第139回)で「不如意なのに/だから語ること」というもの。以前書いた部分に加え、9月号からの部分をつなげて来年まとめて本にしようというものだが、特集にもいくらか関係はある、と思っている。それを分載していくが、一部しか載せられない。『現代思想』買ってください。


 「■不如意さはいくらか異なる
 たしかに社会は社会的に構築されているのだろう。ただ、そこにも、そう簡単にはどうにもならないものが種々ある。それに区切られ制約されたり、それを扱ったりものを言ったりし、そうしたことごとが絡まり堆積して、社会がある。その簡単にどうにもならないものとして身体もある。厚みのある不透明な物体としてあり、その物体には種々の制約・限界があり、衰弱があり、消滅がある★01。身体と身体の外は仕切られ、複数の身体は離れており、その全体あるいは部品の移動・交換の不可能性あるいは困難がある★02。このことに関わるできごとを、一つにここしばらくの間の時期について記述すること、一つに事態を捉える枠について検討すること、ここでしようとしているのはそんな仕事だ。
 前者について、本連載中「身体の現代へ」という(副)題で書いてきたものが八月号の回まで二四回分ある。この国の敗戦後から六〇年代、とくに国立療養所といったごく限られた場に起こったことについて書いた後、いくらかを飛ばして八〇年代になって起こったそこからの脱出について書いた★03。あと三回分ほど七〇年代の「難病」政策の始まり等を記しその間を埋めてそこで打ち切り、ごく限られた地の歴史を記した本として一冊にする。
 それを終わらせてからでよかったのに、あと三回分ほど足すと、以前本連載で何回か書いた「社会モデル」等と合わせ一冊になると思って、その初回を九月号に書いた。だが、初めてみて、無理だとわかった。あと半年ほどはかかる。
 二つには重なっているところもある。書籍にするときに整理する。こうして互いに関係する二冊が二〇一八年に出るはずだ。
 自分や他人にとってよいものもなかなか思い通りには手に入いらないのではあるが、病や障害と呼ばれるものも、身体にいつのまにか備わったり、不意に訪れたりする。そこに、数えれば、(1)非能力、(2)差異、(3)苦痛、(4)死、(5)加害性と少なくとも五つの契機があると述べた。今度の結核療養者(とハンセン病療養者)、筋ジストロフィー者、重症心身障害を収容した国立療養所のこと等書いた歴史の本はこの五つともに関わる。もう一つの本はおもにできる/できないこと、障害に関わる。この(1)できる/できない自体はある人・身体から別の人・身体に容易に移動はさせられないが、しかしそれは、本来は、他と比べて大きな問題にならない。ここが特異だ。そのことをまず述べる。」

「★01 いっとき身体論の本が幾つかあった。書かれたものの多くは、身体の可能性を言うものだった。実際に可能性はあるのだろうから、それは間違ってはいなかったのだろう。そして本来の姿、本来の共同性や関係性を言うものが多かった。『関係としての身体』(管[1982])とか。それを見田宗介が授業で取り上げたことがあったように思う。また、舞踏、身体芸術を論ずるものもあった。『精神としての身体』(市川[1975])、『<身>の構造――身体論を超えて』(市川[1984])等。ここに書くことにつながる題名を有するものは『翔べない身体』(三橋[1982])ぐらいのものだ。ただこの本も、この時代・この社会において「翔べない」ことを書いた本であって、私のここでの構えとは異なる。実際私たちの身体はなにか押し込められているようには感じられ、そこから解放された方がよいのではあるだろうし、その可能性があることを否定はしない。ただそうであっても、同時にどうしても、身体は制約のもとにあり、有限であり、脆弱である。
★02 移動の不可能は生体が異物を排しようとする働きによるところがあり、その生体の反応を薬などで弱めることができると、臓器の移動が可能になったりする。すると例えば「生存籤」が議論されることにもなる([199709→201305:104-109]――今回も私の書き物については著者名略、発行月まで記載)。ただ、誰かが死ぬことで誰かが生きられるといった状況は、とくに技術の水準云々に関わらず、倫理学が好む救命ボート的場面を設定すれば、どこにでも生じうる。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20172429.htm
にもある。


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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