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韓国報告2/五つについての必然的でない事情、関係・併存・2

「身体の現代」計画補足・423

立岩 真也 2017/10/25
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1961017554165222

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『現代思想』2017年10月号 特集:「ロシア革命100年」・表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙   『造反有理――精神医療現代史へ』表紙   『自閉症連続体の時代』表紙

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 まだ韓国の同じ会場にいる。もし(学問的)議論とかするのであれば、それはそれできちんとやった方がよい、と思う。私が報告したのは「近代は続く、そして障害は近代だから正当なものとして存在する差別であり、同時に近代を保つ部品である、が」というもの。
http://www.arsvi.com/ts/20172423.htm
 以下は、「どこから分け入るか――連載・138」
http://www.arsvi.com/ts/20170138.htm
 分載の5回目。掲載されているのは『現代思想』10月号。特集は「ロシア革命100年」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#10
 断片的にしか分載しませんので、『現代思想』買ってください。また11月号はその続きです。


 「こうして、障害と病とがどのように重なりどのように分かれるかは、言葉の使い方次第でありつつ、両者は多くの場合に併存する。二つは分けることができるが、同時に、それは一つの人において、また同一の要因によって、ともに現われることがある。同じ例では痛みとともにどこかが動かないといったことがある。ただ他方、おおいに重なり、同時に生じることを認めた上で、分けることはできる。実際に現象するのはほぼ一方だけという場合もある。例えば、(1)機能においては自らの身体によってはたせないことがあるが、他にはとくに何も支障はないといった場合がある。
 これらの契機を、ディスアビリティと、ディスアビリティに相関するものとして立てられたインペアメントという二つで語るのには無理がある。むろん、その限定された部分だけを問題にしたいのであれば、それはそれでかまわないが、多くの論者は実際にはもっと広い範囲を問題にしている。そのより広い範囲で話は絡まってしまっているのだから、この範囲ぐらいはみた方がよい。
 そんなぐあいに多くの人が見ていくとよいと思うが、このように私が考えるようになった事情はある。「障害学」が障害と自らが括ったもの、それを有する人たちを対象にするのものだとすれば、私(たち)は、病と呼ばれ位置づけられてきたのではあるがそこに生じているのは障害について起こってきた問題ではないかと思ったりすることがあった。精神病と言われたり精神障害と言われたりものについて調べたりする人たちがいる。また、身体をどれだけ眺めてもまずは何も見えない「障害」がある。これらは多様ではある。ただそれはただ様々であるというだけのことではない。それらがつながったり、境界を接しているところを見て考えていくことが大切でおもしろいと思ってきた★04。」

 「★04 「ALSは障害なのか病気なのか。ALSの人は病者なのか障害者なのか。むろん、言葉は様々な意味に使うことができ、それぞれの言葉が示す範囲を変更することができるから、それによって答は変わってくる。ただ一般に、病は健康と対比されるものであり、苦しかったり気持ちが悪かったりする。また死んでしまうこともあり、よからぬものとされる。また障害とは、身体の状態に関わって不便であったり不都合であったりすることがあるということだ。病によって障害を得ることはあるから、両方を兼ねることはある。ALSは病気ではある。そして同時に機能障害が生ずる。ALSの人たちは同時に、病人・病者でもあり障害者である人たちだ。答としてはまずはこれでよい。/そして制度との関係でもALSの人たちは両方である。」([200411:57])
 たしかに苦痛はあるのだがそれをうまく除去したり軽減したりできるのであれば、またやはり適切な対応をとれば死に至るものではないのだから、ALSはむしろ重度の(そして他の固定された障害とは異なった)進行性の障害であると捉えた方がよいだろう。そして、そうではあってもその人たちはなおることを求めているし、そのことにもまたもっともな理由がある。
 そしてもちろん、このことと、医療や医療的ケアと呼ばれるものをこの人たちが必要としていることとは矛盾しない。身体の状態を維持するために技術が必要であり、その技術を医療者(だけ)がもっている場合がある。ならばそれは必要である。また他方で、しかるべく技術を習得すれば、医療や看護や介護の資格をもっていなくても対応できる。にもかかわらず資格による制限がなされたり、なされようとしているために、それに反対せざるをえないことになる。
 立命館大学生存学研究センター編[2016]の「補章」([201603])の2「両方・複数がいて考えられる」に、幾人かの幾つかの研究について紹介した。その中の幾つかを今後紹介することもあるだろうが、まずはその補章を読んでいただければと思う。」


 フェイスブック上のこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172423.htm
にもあります。

UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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