今(10月25日から)韓国にいて、話を聞いている。病気と障害を分けるとか、分けないとか…。それぞれの語が何を指しているのか、それを考えながら言わないと、話はますますこんがらがる。そういうこと思って書いているのでもある。その連載の『現代思想』10月号(特集「ロシア革命100年」)掲載分は
「どこから分け入るか――連載・138」
http://www.arsvi.com/ts/20170138.htm
以下その分載の第5回。ただ断片的にしか分載しませんので〜もう次回分掲載の11月号販売されますし、『現代思想』買ってください。また11月号はその続きです。
「■五つについての必然的でない事情、関係・併存
なぜこのような範囲から見ていくのがよいと考えるか。全体を割っていくと五つになるということではない。五つにし、五つから始めるべき論理的な必然はない。ただ、全体を網羅しようということがあってもよいが、それは膨大な作業になり、そこに現われるのはとりとめのないものになりがちだ。境界や複合や、境界に関わる混乱が生じている部分を、ある程度の範囲でまず大括りに括って、それから見ていくのがよい。社会的事実の形状に合わせるのである。
まず、人が死ぬことがないのであれば、死という項目もない。苦しむことがないのであれば、この項目もない。しかし実際にはその事実はあり、人々に気にされている。そこであげられることになる。
また差異には様々がある。できる/できないも差異の一つであると言える。それを二つに分けたのは、この社会において、できることできないことが大きな位置を占めているからだ。それでできる/できないとそれ以外の差異の二つに分けてみてもよいだろうとなる。
これらは独立に取り出すこともできるが、一人の人に並存することもあり、また互いに関連する部分もある。例えば痛くて動けないこと、(3)苦痛が(1)ある機能を遂行することを困難にすることがある。またとくに因果関係はなくとも、痛いこととできないことは併存するし、できないことと変わっていることも併存することがあり、それらに例えば脳の損傷といった同一の要因が関わることがある。」
フェイスブック上のこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172422.htm
にもあります。