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非−能力/障害・3

「身体の現代」計画補足・413

立岩 真也 2017/09/23
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1948726318727679

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『現代思想』2017年9月号 特集:「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」・表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙   立岩真也編『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
 以下で[200612]とあるのは、立岩真也2006/12/25「『障害の政治』――医療と社会ブックガイド・66」,『看護教育』47-11(2006-12):
http://www.arsvi.com/ts/2006011.htm

 「もちろん多くの時代・社会において、種々の身体と身体に関わる状態は、種々の名称を冠され、区別されてきた。そしてある部分は差別されてきた。その一部に近代社会と障害の関わり方がある。その関わり方(の始まり)には複数があり、地域、国の事情による異なりがあり、偶然的な事情も関わる。一様でないとともに、共通した部分もある。この社会の歴史において、なぜ「狭い意味での障害」が取り出されてきたのかと考える必要がある。そして取り出されるとは、排除されることと反対の意味の言葉ではない。排除されるものとして取り出されたということもある。そしてその取り出し、排除し、そして包摂する方向、いきさつは様々である。
 一つは資本主義の勃興・進展、労働、労働の場のあり方の変容との関連を言うものである。英国の障害学の人ではマイケル・オリヴァーらがその線を言う。ごく簡単に紹介したことがある([200612])。かつて生活と労働の場が分かれていなかった時に目立たなかった人たちが、労働の場が分けられることによって、その場から排除される範疇として障害者が区画されたのだと言う。
 他方で、労働の場への「包摂」が目指されることもある。これは、不運を自からの力で克服する、それを社会の側が助けるという図式になるから、近代の教義において許容され歓迎されることでもある。日本では「職業リハビリテーション」と呼ばれたような部分である。」


 特集「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」の『現代思想』9月号
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#09
に載っている「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
より。その目次は
■予定の変更・東アジア障害学セミナー
■運動・理論
■多田富雄・上田敏
■電子書籍×3
□近代、とその次?
■障害とは何か、とは問わない
◆非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
 今回は「非−能力/障害」より3回め。

 この文章は生存学研究センターのフェイスブックとHPの両方にある。HPの方は
http://www.arsvi.com/ts/20172413.htm


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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