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非−能力/障害・2

「身体の現代」計画補足・412

立岩 真也 2017/09/17
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1948686602064984

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立岩真也編『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙   『現代思想』2017年9月号 特集:「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」・表紙
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 特集「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」の『現代思想』9月号
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#09
に載っている「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
より。その目次は
■予定の変更・東アジア障害学セミナー
■運動・理論
■多田富雄・上田敏
■電子書籍×3
□近代、とその次?
■障害とは何か、とは問わない
◆非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
 今回は「非−能力/障害」より2回め。

 「こうして、扱いたくないのかもしれない、安定しない部分に障害はあるし、障害者はいる。たんにそれを見ないことにするという手もある。しかし訴えがある。作るのが私である、作ったものが私のものであるとされる、しかしそれを私は作っていないと言われる。
 としたとき、できないほうからの浸食を防ごうとすれば、「できないこと」全般から「障害」を切り離すという手があるのではないか。そしてその切り離した「障害」をときにいくらかは特別扱いすることによって、そこに入らない「非−能力」についてはそのままにして、差別してもよいことにして、能力主義を維持してきた、近代社会を維持してきたということにならないか。その人のせいでないものによって不利益を被ることを認めることは、近代が否定した種々の差別を肯定するということにもなる。すると、はっきりとその人のせいでない部分、所与のものとして身体に刻まれているものから救済の対象にするというのである。
 このように社会を主語にすると、その話は怪しげに思われる。しかし、実際にはその社会という場所に人々がいて、その人たちが行なってきたことを確認できる。これはたんに理屈のうえのことではない。理論的に想定されるといっただけのことではない。」


 この文章は生存学研究センターのフェイスブックとHPの両方にある。HPの方は
http://www.arsvi.com/ts/20172412.htm


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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