とは何か、とは問わない(続)
「身体の現代」計画補足・408
立岩 真也 2017/09/08
★
407 < / >
409
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
特集「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」の『現代思想』9月号
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#09
に載っている「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
より。その目次は
■予定の変更・東アジア障害学セミナー
■運動・理論
■多田富雄・上田敏
■電子書籍×3
□近代、とその次?
■障害とは何か、とは問わない
□非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
前回の続き。「障害とは何か、とは問わない」より。
「この、かくも素朴な列挙にいくらかの意味があると思っている。一つ、社会に起こってきたことを見ていけば、そこには複数の契機がある。さきにこの時代にあって重要とされてきたと述べた、できる/できないだけではない。そして、そのあるものは、あるときには「病」と呼ばれ、あるときには「障害」と呼ばれた。その仕分けは、多くの場合さして整合性のないものだった。前段に述べたように痛くまた動かないといったように複数の契機が重なることが多くある。さらには担当するのが医療者と呼ばれるかそうでないかによって分けられること、つまり医療者が担当するからそれは疾患であるといったこともあった。そうしたことに引きずられて混乱するよりも、言葉の幅が変化したり、別の言葉との境界が曖昧であるといったことがいつも珍しいことではないことをわかった上で、使われ方を整理し、必要であれば自らの使い方を提示するという構えで当たるのがよい。だが意外に、構築主義の流行以後においても、障害を他から分けて取り出そうという営みが絶えていないのは不思議だ。このことは次回に述べる。
今回いったん記述を中断することにしたこの国の戦後の歴史においても、いまあげたものがそのときどきに取り出された。
まず、それ以前から、加害性(の可能性)ゆえに囲われた人たちがいた。国立療養所にハンセン病の人たちが収容された。結核療養者の収容も隔離策の一環としてあった。ここで、既に症状が収まりあるいは固定し、健康と日常に直接の影響を与えられることのない人は病人とは位置づけにくい。施設の名称に合わせ、療養者と呼ばれもする。そして、精神障害者もまた危険だとして収容された。そしてそれが…、と続いていく。一九七〇年頃になると「難病」といった言葉が政策用語として現われ、それが日常用語の用法にも影響する…等々。これらのうちのしかじかは障害であるとかないとか決めようとする行ないにいかなる意味があるのか。行政的にはあること、あるとされることもある。むしろ、そこにどんな事情があるのかと問う方が、別の決め方を示すよりもよいことであると考える。
次に、なおす/なおさないことを巡る多様さ、混乱も、このことに関係している。何をなぜなおしてほしいのか/ほしくないのか。病人でなく障害者であると名乗る人たちのなかにはなおされる必要がないと主張した人たちがいた。まずはそれは簡単なことで、痛みは軽くしてほしいし死ぬのはいやだが、自分はそんな境遇にはいないというのだった。そして、ときに痛いだけでそうよいこともない(こともある)「できるようになること」は願わないといったこともあった。こうしたことを、この単純な併列から発して整理し配置してみようといというのである。」