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障害とは何か、とは問わない

「身体の現代」計画補足・407

立岩 真也 2017/08/05

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『自閉症連続体の時代』表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 以下のうち「近代、とその次?」は飛ばす。特集「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」の『現代思想』9月号
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#09
買ってください。そこにある「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
 その目次
■予定の変更・東アジア障害学セミナー
■運動・理論
■多田富雄・上田敏
■電子書籍×3
□近代、とその次?
■障害とは何か、とは問わない
□非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
 以下、「障害とは何か、とは問わない」より。[201408]は『自閉症連続体の時代』。
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm

 その目次の一部。
□□第7章 社会がいる場所
□1 社会がいる場所
 □1 これまで
 □2 少なくとも五つの契機、に対する幾種類かの異なった利害
 □3 批判(1)原因→帰責先としての社会
 □4 (2)自然・(3)決定
 □5 (4)社会U
 □6 基本的な対し方
 □7 容易に決まらないから現場主義、ではない
□2 発達障害・自閉…に
 □1 なぜ括り出されたのか
 □2 まず病ではなく
 □3 差異とできないに対して
□□第8章 処世と免責とわかることについて
 […]
 なんのことやらとお思いかもしれないが、けっこう重要なことを言っているか、言おうとしているかだと私は思っている。さて「連載」より。


 「□障害とは何か、とは問わない
 こうして記すべき大きな部分をすっかり略してしまうことになるが、その近代の社会において、「障害」という捉え方はどうなのか。多くの場合連続的でもあり、また種々多様であるできる〜できないから「障害」を取り出すことが、この社会を維持する仕組みであるとも捉えることができることを述べる。
 その前に、それとすこし異なったところで、これまでの障害をめぐる議論ではすこし都合のわるいところがあることを示す。障害学は、「個人モデル」や「医療モデル」を批判しつつ、インペアメントとディスアビリティという対は基本的に維持し、一方では、前者の契機を小さくしながらも必要な要素としていることがそれでよいのかと問われるとともに、他方では、インペアメントの契機を無視あるいは軽視しているとも言われる。どうもすわりがよくないことは感じられているようだ。このことをどう考えるか。
 本連載でも幾度か述べ、また[201105][201108][201408]等でも述べてきたことは、「障害とは何か」という問い方をするのではなく、身体に関わる(関わるとされる)いくつかの契機を取り出してみることだった。そして、できないこと、異なること、加害的であること、苦しいこと、死に至ること、これらひとまず五つの契機があるとした。これは身体に関わることのすべてではない。なかでは否定的とされる契機ということになろうが、その対とされる肯定的な契機、例えば苦しむことに対するところの快を感じるといったことを含めれば、全体のかなりの部分を占めることにはなるかもしれない。ただ全体を網羅することはここで意図していないから、これらでまずはよい。そのうち障害はおおむね前の二つを、病は後ろの二つ、あるいはそれを惹起させるものである。そして真ん中の加害(の可能性)も歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた。そして、これまで書いたものでも述べたように、これは全体を五つに割ったといったものではない。例えば、動かなくて同時に痛いこともあり、痛くて動けないといったこともある。
 この、かくも素朴な列挙にいくらかの意味があると思っている。一つ、[…]」


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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