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『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』を出しました。
http://www.arsvi.com/ts/2017b2.htm
今まで5冊売れました。以下、その紹介
◆2017/08/17 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/897922679889575936
「誕生日祝い感謝〜配信(返信等も)は専らhttps:/twitter.com/ShinyaTateiwaで〜こちらよろしくお願いいたします。新刊『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』。電子書籍?のみで提供。800円→http://www.arsvi.com/ts/2017b2.htm」
◆2017/08/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/898551683332157440
「「自分のことを語ったり、自分のことを反省したりする。それはどこかなんだか怪しい、だまされた感じがする。…主体になることによって、何かに従属してしまう…このような理解は、ニーチェの…」(「フーコー『性の歴史』」)『生死の語り行い・2』http://www.arsvi.com/ts/2017b2.htm」
◆2017/08/20 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/899192238319824898
「『性の歴史』の「性」は「死」に置き換えられる。08/18の続き:「フーコーは、新奇なそして妙なことを言った人だと思われることがある。しかし私はそんなに新しいことを言ったわけではないと思う。きわめてまっとうな…」→『生死の語り行い・2』http://www.arsvi.com/ts/2017b2.htm」
以下は3回めの同じ箇所の引用。
電子書籍(といってもただのHTMLファイル)、かさばらないし、私の場合は増補版を無料で提供させてもらっているし、よいと思うのだが、数からいったら、たいへん、でていない。累計総計5冊とか、3冊とか、1冊とか。紙の本の1000分の1といったところ。アマゾンが販売の条件を変えたとも聞くので、結局、アマゾンを(アマゾンも)使うということにならざるをえないのかなと思う。ただ、直売・直買がいちばん安い――アマゾンは今回、他でアマゾンより安く提供したりすることを許容したようだ。この調子だとあと何百年かかかりそうだが、それで自前の言論を蓄積・放散する場を作っていこうと思っている。
特集「いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方」の『現代思想』9月号
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#09
に「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
その目次
■予定の変更・東アジア障害学セミナー
■運動・理論
■多田富雄・上田敏
■電子書籍×3
□近代、とその次?
□障害とは何か、とは問わない
□非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
ここで途中まで紹介するが、『現代思想』この号もう売っているので、どうぞ。
「□電子書籍×3
[…]
もう一つ、『生死の語り行い・1』(立岩・有馬[2012])の続篇として二〇一三年、さらに二〇一四年には出そうと考えて出せなかった(良い)死を巡る言論、おもに書籍を紹介する『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』([201708])。先日(七月一八日)一〇五歳の長寿を全うされた日野原重明先生は立派であったとして、しかしやはりここでも、麗しく語られることが麗しくない事態をもたらすのでもある言論の堆積をまとめて示す必要があると考える。これももっと本格的に研究している人がするとよい仕事だと思うが、そしてようやく大谷いづみの本は出版されるそうなのではあるが、それ以外には待っても出てこない。ずいぶん前からの草稿をそのままにしても時間が経って情報が古くなるだけだから、電子書籍版だけで提供することにした。それには巨大な文献表を付してある。この『2』、有馬斉と書いたさきの本、その前の『良い死』([200809])、『唯の生』([200903])、そして立岩編[201505-][201604-]、これらにあげた文献を集めて文献表を作った。そこからオンラインの状態であれば個々の文献の情報を得ることができるようになっている。それが電子書籍という形態をとった積極的な理由である。文献数は約一五〇〇。リンク先を指定するタグ(電子書籍の画面からは見えない)を含めると紙の本四五〇頁ほどの文字量だが、リンク先の情報を含めるとさらにずっと分量は多くなる。ただ、まだまとめてない部分があり、これはしばらく後に『3』としようと考えている。
こうして一方で、言論の堆積を、そこには泡や滓のようなものも含まれているのであろうが、というよりおおいに含まれているからこそ、示すという仕事がある。私自身は、示す仕事そのものというよりは、その意義を示すことを試しにやってみて、試供している。
他方で、大きめの見立てもまた必要だと考える。」