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多田富雄・上田敏

「身体の現代」計画補足・404

立岩 真也 2017/08/29
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1938649139735397

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立岩真也編『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙   多田富雄『人間の復権――リハビリと医療』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』9月号に「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
 その目次
□予定の変更・東アジア障害学セミナー
□運動・理論
□多田富雄・上田敏
□電子書籍×3
□近代、とその次?
□障害とは何か、とは問わない
□非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
 今回はみっつめの□。ここで言及されている多田の『人間の復権――リハビリと医療』はしばらく前から購入できる。その解説を依頼されて書いたこともあって作ったのが『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』
http://www.arsvi.com/ts/2017m1.htm
 私は、上田敏のような人(たち)は、その人(たち)が批判に値するほど立派なことを言ったから、ではなく、きちんと批判されるべきであると考えている。それがきちんと伝わるようにその「解説」を書いたつもりだが、まだ足りないのかもしれない。上記の電子書籍?はそれで作ったのでもある。青土社から刊行を予定している本はそんなこともあって書こうとしているのでもある。


 「□多田富雄・上田敏  もう一つ、連載の二〇一〇年のその数回を書いたのと同じ時期、それを書いたことにも繋がって、私は多田富雄に関わることを書いた。多田の『免疫の意味論』(多田[199304])は青土社で最も売れている本と聞いたことがあるが、その多田が二〇一〇年に亡くなり、本誌がその年の七月号で「免疫の意味論――多田富雄の仕事」を特集した。私はそこに、多田がハビリテーション期間を制限する政策に反対したことについてかなり長い文章を書いた([201007]、立岩編[201707-]に収録)。その制限というできごとは二〇〇六年に起こった。本誌がリハビリテーションを特集した十一月号に載った「患者から見たリハビリテーション医学の理念」(多田[200611])他、この時のものをまとめた本が青土社刊の『わたしのリハビリ闘争』(多田[200712])。さらに「患者学――生存の技法」の特集だった本誌二〇〇八年三月号に「死に至る病の諸相」(多田[200803])があり、亡くなった年に青土社から出版された『落葉隻語 ことばのかたみ』(多田[201005])に収録されている。
 その多田は、知られているようにこの種の科学者の中ではとても文化人な人で、文章が書ける人だった。その文章を集め五巻の「多田富雄コレクション」を刊行する企画が藤原書店であり、この九月刊行の第三巻『人間の復権――リハビリと医療』(多田[201709])に付される解説を依頼され「リハビリテーション専門家批判を継ぐ」と題した短文([201709])を書いた。そのコレクションは、著名な免疫学者であり自然科学と人文科学を架橋しようとした人であり、教養人であり文化人であった多田を讃え偲ぶものであり、そのことになにも異義はない。ただ私は、多田とはまた種類の違う、しかし学界の首領のような人(たち)のことが気になった。
 多田は必要なリハビリテーションができなくなってしまうことを危惧し、それは予算を増やしたくない政府の意図によるものだと、単純に明快に批判している。ただ、その批判が、多田と似たような境遇になった鶴見和子に手を差し伸べてあげことによって感謝され、各種仲のよい対談やら鼎談やらをしている上田敏(たち)に向けられてもいたことはあまり気にとめられていないように思う。つまり、上田は期間制限の根拠とされた研究会の座長であり、その報告書が役人によって誤読され利用されたといったことではなく、たしかに上田たち自身が無駄なリハビリテーションがあることを認めている。
 事態はすこしだけ複雑になっている。[続く]」


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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