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障害(学)は近代を保つ部品である、しかし

「身体の現代」計画補足・401

立岩 真也 2017/08/25
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1937717216495256
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立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『造反有理――精神医療現代史へ』表紙   『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙   『私的所有論  第2版』表紙  
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 『現代思想』9月号に「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」。計画変更。
http://www.arsvi.com/ts/20170137.htm
以下その目次
□予定の変更・東アジア障害学セミナー
□運動・理論
□多田富雄・上田敏
□電子書籍×3
□近代、とその次?
□障害とは何か、とは問わない
□非−能力/障害
□障害学
□批判者である障害学は願いをかなえもする
□しかしとどまることはしない
□ではどんな方向に行くのか?
以下その最初の部分

 「□予定の変更・東アジア障害学セミナー
 二〇〇五年から始まったこの連載中、二〇一五年六月号で再開された「生の現代のために」は前回の八月号まで、『相模原障害者殺傷事』(立岩・杉田[2017])になった原稿をはさんで続き、先月号で二四回となった。すでに本一冊分はとうに超えているが、終わらない。部分部分を素描するだけの仕事でもまだかかる。今回用意していた福嶋あき江とその後についての原稿も後まわしにし、ひとまとめするためのあと数回は来年に持ち越して、その年に本にすることにした([2018]、以下筆者の単著については著者名略)。
 代わりに、「生の現代のために」の前、『造反有理』([201312])と『精神病院体制の終わり』([201511])になった部分のさらに前、二〇一〇年に六回分書いて、途中でそのままになっていた部分――「過剰/過少・1」「社会モデル・序、1〜2」「社会派の行く先・1〜2」――の続きにあたる部分を、これから三回書いていったん終わらせ、本(→[201010])にしようと考えた。それにいくつかのきっかけ、事情がある。
 一つ、私たちは「東アジア障害学セミナー」と称する催しを毎年行なっている。昨年の参加は韓国、台湾、中国、香港、日本から。今年の開催地は韓国で、テーマは韓国側の発案で「ポストモダン期における障害学と概念的理論研究」となり、報告することになった(一〇月二五日)。また「障害学の方向性」というテーマでも報告することになった(二六日)。いずれも、例えば後者についてはそれほど積極的な関心がないがゆえに、私なら考えつかないものだったが、だから考えることにもなったし、また同時にそれらは以前から気にはなっていることでもあった。まず前者について、以下がその「抄録」として送ったもの。「障害(学)は近代を保つ部品である、しかし」という題にした([201707])。

 第一に、ポストモダンが語られた前世紀から今の世紀にかけて基本的な変化は起こっていないと私は考えている。つまり、近代を自己所有権(self-ownership)の時代・能力主義の時代(the age of "ableism"=A)とするなら、その時代は続いている。だが、同時に、常に、別の原理・現実Bは併存している。Aの時代の後にBが来る、来てほしい、来るかもしれない、と考える必要はない。常に二つ(以上)の間の抗争がある、それに社会運動も、またときに学問も関わっているのだと考えることである。Bは社会に現に存在する契機むしろ社会の基底であり、またAを批判し続ける位置でもある。それをポストモダンと呼びたければ、そう呼んでもかまわない。そしてBは、ポストモダンの思想と一定の親和性を有するものではある。私も以前いくらかは読んだ。ただ、その思想・言説がなければ成立しないものでなかったことも言えるとも思う。私はむしろ障害を巡る社会運動とその言葉から、Bを受け取ったと思う。(そして「post」と呼ぶ必要もないだろうから、私はその言葉を使ってはこなかった。)
 第二に、近代社会とdisability はどのように関わるのか。ここで私たちは、多様で連続的なability / dis-ability のなかに相対的に位置づくdis-ability と、impairment とセットのもとしてあるdisabilityとをいったん分ける必要がある。そして近代社会は、近代社会であるというその条件のもとで、di-sability の一部をdisabilityとして括りだし、ときにそれに一定の保護・免責を与えてきたのだと考えることができる。さらにそのことによって近代社会は自らを維持しているのだとも捉えることができる。とすれば障害学もまた近代社会の維持に貢献してきたのだと見ることもできる。
 そしてそれと同時に、障害を巡る社会運動と障害学は近代と別のものを提示したともさきに(第一点として)述べたのだった。第一点と第二点、この両者はどう関係するか。報告原稿の各国語のフルテキストをできるだけ早く用意し、私どものサイトに掲載する。また本報告のとくに第一点については、拙著『私的所有論』(初版一九九七、第二版二〇一二)に詳述した。その英語版が二〇一六年に電子書籍で出版された。やはり当方のサイトから購入できる。またセミナー当日にも持参する。


『私的所有論  第2版』表紙   On Private Property, English Version   立岩真也編『社会モデル』表紙  
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 この文章は、生存学研究センターのフェイスブックと
http://www.arsvi.com/ts.20172401.htm
にあります。


UP:201707 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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