浜田寿美男さんの『親になるまでの時間』が『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』116号。この雑誌=本の頁は別途作るが、まずは注文→[amazon]/[kinokuniya]
私はその別冊『Chio通信』に短文を載せることになっている。この『Chio通信』は『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』を定期講読するとそのおまけ(特典)としてついてくるという趣向のもの。以下に広告があった。
http://karaimo.exblog.jp/26367357/
『Chio通信』02に載ったのは「そんなこともあって、「能力主義」について考えはじめた――何がおもしろうて読むか書くか 第2回」という題になった。広告のために載せていこうと思う。以下は、その第3回
http://www.arsvi.com/ts/20170052.htm
「こうしてだんだんと敵意と鬱屈は少なくはなっていったが、それでも、「もっと自由を」という感じはあって、そういった気分をもって高校を終えた。大学に入ったのは一九七九年だが、その数年後、後に国会議員その他になる保坂展人〔のぶと〕らが*1『学校解放新聞』を創刊するのが八四年、*2東京シューレが始まるのが八五年だそうだ。そういうものにかかわっていた大学の友人もいた。ただ私はこの方面のつきあいはほぼなかった。*3『不登校新聞』のインタビューを受けたりといったことはずっとずっとあとのことになる。もう学校を出てしまっていて、喉元すぎれば……、ということもあきらかにあったと思う。ただ、学校を変えればなんとかなるということでもないし、学校だけを変えようとしても限界はあるということもあった。
そのわけはだれもが知っていることで、学校というしくみは「ふりわけ」のために使われているということだ。学校は社会の部品として機能している。このしくみが気にいらないなら、その社会のほうを問題にせざるをえないということになる。そんなこともあって私は、「能力主義」について考えることになった。それを始めてほぼ二〇年もたった一九九七年に『私的所有論』(勁草書房、第二版は生活書院、二〇一三年)という本を出してもらうことになる。そうしたことはまた別の回に。では。
*1 反管理教育を掲げたミニコミ誌。
*2 不登校のこどもの居場所、フリースクールとして生まれる。現在はホームエデュケーションなど多様な活動をおこなう。
*3 当事者の声によりそうことを掲げた、不登校・ひきこもりに関する専門誌。
たていわ・しんや
一九六〇年、新潟県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専攻は社会学。「生存学研究センター」センター長。著書に『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』、共著に『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(ともに青土社)など。」
註と著者紹介は編集部が書いてくださった。なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172394.htm
に(も)あって、以下『fonte』に載った記事にもリンクされています。
◆2012/06/15 「家族に金があろうと生活保護はとればいい」
『fonte』340(2012-6-15):3(全国不登校新聞社)
◆2009/12/15 「出生前診断・選択的中絶――いのちとはなにか 立岩真也さんに聞く・3」
『Fonte』280:2,
◆2009/12/01 「尊厳死、家族の判断――いのちとはなにか 立岩真也さんに聞く・2」
『Fonte』279:2
◆2009/11/15 「尊厳死・安楽死――いのちとはなにか 立岩真也さんに聞く・1」
『Fonte』278:2,
◆2005/04/15「ニートを生み出す社会構造は――社会学者立岩真也さんに聞く」(インタビュー)
『Fonte』168:7(旧『不登校新聞』、発行:不登校新聞社)
東京シューレについては
http://www.arsvi.com/o/ts00.htm
にほんのわずか