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立岩真也「表紙製作者in佐渡島――「身体の現代」計画補足・393」
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
浜田寿美男さんの『親になるまでの時間』が『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』116号。この雑誌=本の頁は別途作るが、まずは注文→[amazon]/[kinokuniya]
私はその別冊『Chio通信』に短文を載せることになっている。この『Chio通信』は『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』を定期講読するとそのおまけ(特典)としてついてくるという趣向のもの。以下に広告があった。
http://karaimo.exblog.jp/26367357/
『Chio通信』02に載ったのは「そんなこともあって、「能力主義」について考えはじめた――何がおもしろうて読むか書くか 第2回」という題になった。広告のために載せていこうと思う。
http://www.arsvi.com/ts/20170052.htm
以下は、その2。ででくる友人は、最新作が『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』含め
http://www.arsvi.com/ts/sale.htm
の表紙みな作ってもらっている近藤勇人。
http://www.arsvi.com/w/kh22.htm
「そんなこんなでいろいろと恨みごとはいえるのだが、それは多くの人が経験してきたことだろうから、ここでは書かない。そしてまあだんだんとその怒りもリアルではなくなっていくところがある。高校などに進むと、私は学校が近くにありすぎたからということでもないのだろうが、行くこと自体をさぼるということはしなかったのだが、ほぼ毎日、授業とはまったく別建てで内職をしたりだった。中学校のときは内職といっても小説を読んでいたわけで、それは隠れてのことだったが、高校だと受験勉強をしていたり、寝ていたりする限りは、おおむね黙認されていた。私は最短で受験勉強を終わらせて島を出ようと思っていたから、合理的な行動をしていたことになる。私がいたのは新潟県立両津高等学校(今は中高一貫校の佐渡中等教育学校になっているという)の普通科というところで、ほかに商業科、家庭科、そして水産科があって(後でなくなった)、普通科というのは基本進学するところだったが、それでも学力的には種々さまざまな人たちがいた。
いまはその島の印刷会社で働いていて、昨年から私の普通の出版社からは出ていない方面の資料集や冊子等の表紙を作ってくれている私の小学校来の友人は、絵は得意で、体育は全面的にだめで、そしてついに[…略…]。学力別に「輪切り」にするほど人の数がいないわけで、それはわるいことではなかったと思う。」
たていわ・しんや
一九六〇年、新潟県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専攻は社会学。「生存学研究センター」センター長。著書に『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』、共著に『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(ともに青土社)など。」
なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172393.htm
に(も)あって、リンクはその方が多いです。