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聞く話す履歴・高橋修(1948〜1999)4

「身体の現代」計画補足・384

立岩 真也 2017/07/09
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1917892208477757

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『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙   全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』表紙   『私的所有論  第2版』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 私(たち)が1980年代後半から一番多く話を聞いた人、高橋修さん
http://www.arsvi.com/w/to01.htm
についての第4回。
◆2001/05/01 「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」,全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害文化』『自立生活運動と障害文化』,現代書館,pp.249-262
 この2001年の文章は売り物に収録されているので、本を買っていただきたいわけなので、全文はこのサイトに収録されてはおらず。なので、以下そのごく一部を。


「□1 三〇歳頃まで
 高橋さんは一九四八年に新潟県長岡市に生まれた。いわゆる団塊の世代の一人だ。「先天性四肢関節硬直症」。かなり珍しい障害らしいが、他にいないわけでもなく、高橋さんも何人かは知っていて「俺に似てんだ」と言っていた。手足が細く、自動車を運転していた頃などはそれなりに手は動かせていたが、動かしにくい。足は使えず。それに比して、高橋さんに限るが、胴体は年々大きかった。
[…]

□2 エレベーター設置運動

□3 空白の八〇年代後半?
 高橋さんの活動の多面性や人となりについてはたくさんの人が『追悼文集』に書いている。読んでください。ここでは一つ、すこししぶい?、けれど自立生活運動にとっては大切な部分について。そしてそれは、私が高橋さんについて思うこと、一番悩みながら、しかし同時に現実をやっていった人だった、その部分でもある。悩んで沈んでしまうことはできるし、吠えるだけ吠えることもできるし、ただの実務家に徹することもできるが、高橋さんのようにやっていくのは疲れる。だがそれが大切なことがある。[…]

□4 組織としてやっていくこと
 これしかない。ただ、制度がそれを実現できないとき、その中でどうやっていくかという悩みは消えない。それでいろいろなところを痛めることになる。もう一つある。介助も含む関係のあり方、運動の仕方、引き継ぎのあり方だ。

□5 一九九〇年代
 その後のことはよく知られている。自立生活センター・立川はもっとも強力な自立生活センターとして活動を展開していく。[…]

□6 闘争の流儀
 高橋さんは、「女性問題だとかさ、優生保護法の改正とかさ、一時は進歩的だったんだ」と笑って語ったことがあった(九七年)。[…]」


 なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172384.htm
に(も)あって、リンクはその方が多いです。


UP:201706 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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