HOME > Tateiwa >

聞く話す履歴・高橋修(1948〜1999)

「身体の現代」計画補足・381

立岩 真也 2017/06/30
href="https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1911821872418124

380 < / > 382

Tweet


『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙   『私的所有論  第2版』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 私の1990年代までの仕事については
http://www.arsvi.com/ts/1990.htm
をどうぞ。こうやって記録しておいてはじめて(一度以上まったく忘れて)思い出せることがある。
私が一番多く話を聞いた人は高橋修さんだ。1948年生。以下かなり大きなファイル。
http://www.arsvi.com/w/to01.htm
いま調べたら、高橋さんたちは1997年8月27日から9月4日まで英国に行って、私も同行している。英国の「コミュニティ・ケア」(がうまくいっていないこと)を調べに行ったのだ。この時、(元)ダイアナ妃が亡くなった。ロンドンのホテルで朝テレビをつけたらそんなニュースをやっていた。その宿は彼女が住んでいたケンジントン宮の近くで、多くの人が花をたむけにやって来たのを見た。高橋さんは1999年2月27日、急死された。その追悼文は
http://www.arsvi.com/ts/1999019.htm
英国から戻ってきて、1年半経っていない。そうだったのか、と思う。拙著『私的所有論』(初版)の発行日が1997年9月5日。
http://www.arsvi.com/ts/1997b1.htm
その頃この本を送ったり(贈ったり)売ったり(売ったり)する仕事と、この時の英国行き関係の仕事と同時にやっていたらしい。その時の文章がいくつかあるが、その一つが
http://www.arsvi.com/ts/1998a03.htm
この話はさきざきに続いていくのだが、それはそれ。また。高橋さんについての本をと、圓山里子さん(高橋さんと圓山さんと私は自立生活センター立川で新潟県人会をやっていた、わけではないのだが、そんなことも言っていた)とともに、前から思っていて、高橋さんへのインタビュー記録を、と探しているのだが、ないものが(複数)ある。どうしたものかと思う。なにか持っている方、知らせてください。
 高橋さんについては幾度か書いている。その一つが以下。今年その歴史が終わる『そよ風のように街に出よう』連載の「もらったものについて・15」より
http://www.arsvi.com/ts/20160015.htm

 「戦後のでも二〇世紀のでもよいのだが、その時期の三人をと問われたら、私は、横塚晃一(一九三五〜一九七八)、高橋修(一九四八〜一九九九)、吉田おさみ(一九三一〜一九八四)になる。横塚晃一より前に生まれ、共に「青い芝の会」で活動し、彼よりはずっと長く八〇歳まで生きた横田弘(一九三三〜二〇一三)の再刊された本『障害者殺しの思想』(二〇一五年、現代書館。初版は一九七八年、JCA出版)の「解説」にそう記した。その本の帯に森岡正博は横田晃一、横田弘、田中美津の三人を記している。私の三人は若くして亡くなったことにおいて共通している。横塚は四二歳、高橋は五〇歳、吉田は五二歳で亡くなった。レーニンやガンジーやマンデラは知られているだろう。ここであげた人は、田中美津は知っている人は知っていようが、他はそうでもないだろう。
 ただ、高橋修はものを書かない人だったが――私の手元にあるのは五〇〇字の文章、代わり三度のインタビューをして彼についての文章を書いた――、他は自身の著書があって、…」

 「一つ、私たちは一九八〇年代の後半、もう三〇年近く前になるが、多くの人に話を聞くことができて、それは今となってはずいぶん貴重なことだった――文字化されていないものも実はかなりあって、音源が残っているか、探してみなければならないと思っている。だからまったく知らないわけでないが、話をうかがった方が私(たち)のことなど覚えているはずなどないと思っていたが、二十数年年といった時間か経って再会する機会があった時、覚えていると言ってくれて妙にうれしかったことがある。そんなこととして覚えているのは、三井絹子さんが著書『私は人形じゃない』が出た時に、その本を販売しに長野大学で開催された障害学会に一族郎党でやってきた時、私なら覚えているなんてありえないと思ったのだが、そのずっと前のことを言ってくれて、単純にうれしかったということが一つ。
 そして三井さんの兄でもある新田勲さん、彼も横田さんが亡くなった二〇一三年に亡くなったのだが、新田さんも初めてインタビューをしてから二〇年以上経って対談をもちかけくれて、実現した(そこには三井さんもいらした)。それは二〇〇八年『足文字は叫ぶ!』(全国公的介護保障要求者組合)、そして二〇〇九年に『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(現代書館)に収録された。これも私にとっては貴重な機会だった。
 これらはみないただいた機会だった――例外は高橋修さんに(これも八〇年代だが)三度のインタビューをしたことだった。、そんなことがとにかく大切なことだと思う。私は基本的には自分でごちょごちょと考えてそれを文章にするタイプの人間だと思うが、そそのごちょごちょ考えるもとにはこれらの人からもらったものがある。そんな恩義もある。そしてとにかく人はいなくなってしまう。二〇一三年は多くの人がなくなった人だった。二〇一四年にもなくなった。二〇一五年にもなくなった。うかがえるときに聞いておこう。今私は大学院というところに勤めていて、毎日そのことを言っている。」

 なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172381.htm
に(も)あって、リンクはその方が多いです。


UP:201706 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)