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聞く話す履歴・加藤尚武(1998)/山口衛

「身体の現代」計画補足・379

立岩 真也 2017/06/22
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1908254239441554

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『私的所有論  第2版』表紙   『弱くある自由へ』表紙   立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』表紙   立岩真也『良い死』表紙
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 インタビュー再開にあたり、これまでのインタビュー(私がインタビューしたもの)や対談を並べるというシリーズ?第2回。1998年、市野川容孝の後。
◇1998/04/18(加藤尚武氏との対談)
 NHK教育TV『未来潮流』。『私的所有論』が前の年にでたことがあって、加藤さんが私に声をかけてくれたということだったと思う。私はしばしば
http://www.arsvi.com/
「内」を検索するということをするのだが、今回もやってみたら
「日本の生命倫理:回顧と展望――社会学から」(与えられた題)
http://www.arsvi.com/ts/2006062.htm
が出てきた。2005年12月11日のシンポジウム「日本の生命倫理:回顧と展望」(於:熊本大学)での報告。まったく忘れていた。関係する部分を引用する。
なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172379.htm
に(も)あって、リンクはその方が多いです。

 「あと5分ぐらいありますので、一つエピソードを申しあげて終わります。1997年ですから、今からもう8年ぐらい前になっちゃったわけですけれども『私的所有論』(勁草書房)という本を書いて出してもらって、そのあと最初にきた原稿の依頼が『仏教』っていう法藏舘が出している雑誌でした。その時、最初頼まれたのは出生前診断についてということでした。ただ、僕はそれについては、その『私的所有論』という本の第9章がその話になっているんですけれども、それで終わったとは思えないけれども、僕の頭ではこれぐらいまでしか考えつかなかったし、それから進んでない。出したばかりでもあるし。だから、それについて書けないし書くだけの元気がない。それで、以前から気になっていることがあって、それは安楽死の話だと言って、それについて書いていいですか、ということで、98年の頭に出たその『仏教』という雑誌の中で、安楽死について書いたのです。短い、20枚か30枚ぐらいの原稿ですけれども。ちなみに、それはさっき言った『弱くある自由へ』という本の中に収録されています。
 ちょうどその頃、筋萎縮性側索硬化症という神経性難病、ALSの人から連絡をいただきまして。97年の秋ぐらい、私的所有論云々っていう話とは全く別文脈で、どっちかっていうと福祉・介護、そっちの絡みでお話がありました。実は今年の八月に亡くなられたんですが、山梨県の山口衛さんという方としばらくメールのやり取りをしたんです。それは、県独自の介護人派遣事業を山梨県に作ろう、つきましては情報を、ということでした。私は今日はこんな話をしていますけれども、一方では、福祉サービス絡みのことについて書いたいたりもするんで、それで声をかけていただいたんだと思います。私自身はアドバイスといいますか、ほとんどできなかったんですが、制度について詳しい民間組織への橋渡しのようなことをさせていただいきました。
 そして山口さんたちの尽力でその制度が実施されることになり、98年の5月に山梨県の支部の総会で講演を依頼されました。最初はその介護サービスの派遣制度の話だけするということで、それでOKだったんですけれども、ちょうどその時、その『仏教』の原稿を書き上げたものですから、それを添付ファイルでお送りしたわけです。
 そしたら山口さんからその返信がかえってきまして、「あなたが書いたことは私が常日頃考えてきたこととほぼ一致する。あなたの見解にはほぼ同意できると私は思う。しかしこの件は非常に難しい。実際、そういう形で、自分で決めるという言い方のもとで、亡くなられた方を幾人も知っているし、それからその家族が、そのことについて今でも思い悩んでいる人がいるということも知っている。だからその話は、今回はしないでくれ」と。もちろん私もそういう話を講演でするつもりはありませんでした。
 それで、何でこういう昔の話をしているかというと、先にお話をなさった加藤先生との関わりがあるからで。ちょうどその時に、私のその本を読んで下さったのかなと思いますけれども、加藤先生が声をかけて下さって、NHKのETVで、もうなくなっちゃったんですが「未来潮流」っていう番組があって、加藤先生が3人の人、その中の一人が僕だったんですけれども、対話をする、そういう番組がありました。たしかもう一人はいま長野県の知事をなさっている方だったかなと。そんなことで加藤先生と対談をしました。ちょうどそれがパラリンピックのあった年で、パラリンピックの閉会式と重なっちゃったもんだから放映がちょっと延びて。それが延びた日に放映されたのを、実はその山口さんという方が見てくださっていた。
 その日のうちに私のところにメールが来ました。「その辺の話は厄介だから、ちょっとしないでくれっていうふうにあの時言ったけれども、今日、加藤さんとあなたとの対談をテレビで見ていて、やっぱりこの話はしてもらわなきゃいけないなっていうふうに思った。だからその時は、そういう話をしてね」ということで。それで、その5月に甲府で講演したときにその話をした、というふうな経緯がありました。その時の講演は『障害学を語る』っていう、障害学を云々っていう本が今3冊ぐらい出ているんですけれども、そのうちの2冊目の本に講演が丸ごと収録されておりますので、その時に私が何を喋ったのかということはそれを見ていただければお分かりになると思います〔後に『良い死』の序章「要約・現況」の1「要約と前置き」の2「急ぐ人のために・2――短い版 手助けをえて、決めたり、決めずに、生きる――第3回日本ALS協会山梨県支部総会での講演」として収録された。〕。
 僕は、98年の時にはALSっていう病気は2、3年ぐらいで亡くなってしまうものだと思っていたんですが、調べていったら、呼吸が苦しくなったら人工呼吸器をつければ、自らがそれをつけずに「尊厳ある死」を選ばないのであれば、そうそう死ぬ病気じゃないということが分かりました。だったら時間をかけて本を書いても山口さんにお届けできると思い、それで、2004年まで引っ張って、ようやくをやっと一冊上梓することができたんです。その山口さんが体調を悪くされて今年の夏に亡くなられたのですが。
 ともかく、少なくともその人たちにとっては、このテーマは終わっていない。やっぱり今でもアクチュアルなというか、文字通り「生き死に」にかかわる問題であり続けているわけです。
 とすれば、社会学の方からだと、「何でこの人たちは死にたいとか言ってるのだろうか」、「我々の社会というのは人が死にたがるような社会なんだろうか、それともそうじゃないんだろうか」と、そういうアプローチで考えていきながら、同時に「じゃあ、どうしたらいいんだろう」という、そういう順番で考えていくわけだけれども。ただその「よいんだろうか、わるいんだろうか」ということで言えば、やはりその哲学・倫理学の本業の方々に、どうなんだろうということを、言ってみれば、バイオエシックス・生命倫理・医療倫理等の、何というかな、初発のところに戻って、さらに考えるべきことが今なおアクチュアルな問題としてあるんではないだろうか。私は私としてそれを考えていきたいと思うけれども、皆さん、いかがなんでございましょうかという話を、今日はただその話だけを話しに参ったというわけです。
 ということで、ちょうど30分経ちましたので、私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。」


UP:201706 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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