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高野岳志・1

「身体の現代」計画補足・373

立岩 真也 2017/05/31
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1896838583916453


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 『現代思想』2017年6月号の特集は「変貌する人類史」。発売開始。目次、そして一部の執筆者についての頁へのリンクは
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#06
にあり。そこからすぐに注文もできる。
 私が書いているのは特集とは別の連載第134回「高野岳志――生の現代のために・22」。
http://www.arsvi.com/ts/20170134.htm
には文献表があり、そこから文献の全体などへのリンクがある。
 それを分載していく。通しで読まないとなんのことやらだが、通して読むとおもしろいと思う。前号に引き続き買ってください。さらに繰り返すと、高野岳志(1957〜1984)の他、山田富也(1952〜2010)、渡辺正直(1954〜2012)、石川正一(1955〜1978)、福嶋あき江(1958〜1989)といった人たちについて書こうとしている。ただ手許にある情報はわずかだ。なにかお持ちの方、ください。知っている方、知らせてください。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172373.htm
にもある。

 「■一九八一年四月まで
 一九五七年六月六日に生まれ、六六年六月千葉県の国立療養所下志津病院に入院、八一年九月に病院を出て、八四年十二月二七日、二七歳で亡くなった高野岳志について書き出したが、前回は、その周辺の、手前のことで終わった。続ける。
 ツィッター等で問い合わせたら、前回あげなかった(実は持ってはいた)文献を知らせてもらった。高野[1976→2002]と、山田らの支援者であってきた白江浩が高野について書いた部分を含む文章(白江[2002])が山田・白江[2002]にあった。点検してみると、前者は前回文献表にあげた山田[1983]に再録されている文章とごく細かな表記の違い以外同じものであることがわかった。そして山田・白江[2002]の記載によってそれが、高野が十九歳の頃、一九七六年に山田富也らが始めた仙台のありのまま舎発行の季刊誌『ありのまま』第二号に寄せた文章であることがわかった。
 これらについては全文を入力し、こちらのサイトに掲載した。高野についての頁も増補している。今回の文章の三倍ほどの量がある。誰かについての書きものほとんどすべては、その誰かが書いたり言ったり、誰かについて書かれたり言われたりしたことのある部分を切り取って書かれる。それは仕方のないことでもあり、必要なことでもある。ただ、そうであるうえで、またそれと別に、もとの文章も読むことができることはよいことだと思ってそうしている。
 その十九歳の文章に「下志津病院は仙台の西多賀病院と並び昭和三十九年に進行性筋ジストロフィー患音収容指定を受けた所で、私は筋ジス専用病棟の建設に伴う増床によって入所したわけです」とある。連載で記してきた六四年前後の動きが高野とつながり、高野はそれを知っている。また親に「筋ジスのベッドが百床に増床されたので入らないかと保健所から話があった」(小林[198112:39]、今回も意図的に文献の発行月まで表記することがある)という。保健所経由でこうした情報がもたらされたことがわかる。
 その入院のおり、父親が高野に治療の可能性と学校があることを説明し、自分にも意見を求めたことがうれしかったことを高野が記していることは前回紹介した。白江は、「まだ、筋ジスのこともよく知られていなかったために、余計に入院させることへの理解が浅かったのだと思う」(白江[2002:222])と記し、入院が研究にも貢献し、治療法が見つかればその益を得ることができると考えた父親の判断が当時は理解されにくかったのだと述べている。」


UP:201705 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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