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写真集『車椅子の眼』(1971)2

「身体の現代」計画補足・369

立岩 真也 2017/05/21
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1892158641051114

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立岩真也編『与えられる生死:1960年代』表紙   立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『現代思想』2017年5月号 特集:障害者・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]


 『現代思想』2017年5月号の特集は「障害者――思想と実践」。目次、そして一部の執筆者についての頁へのリンクは
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#05
にあり。そこからすぐに注文もできる。
 私が書いているのは特集とは別の連載第133回「高野岳志/以前――生の現代のために・21」。
http://www.arsvi.com/ts/20170133.htm
には文献表があり、そこから文献の全体などへのリンクがある。
 それを分載している。今回は
http://www.arsvi.com/ts/20172367.htm
の続き。通して読むとけっこうおもしろいのではないかと思う。買ってください。そして私は高野岳志(1957〜1984)の他、山田富也(1952〜2010)、渡辺正直(1954〜2012)、石川正一(1955〜1978)、福嶋あき江(1958〜1989)といった人たちについて書こうとしている。ただ手許にある情報はわずかだ。なにかお持ちの方、ください。知っている方、知らせてください。
以下に出てくる小説家・水上勉は、『与えられる生死:1960年代』
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
と『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
にも出てくる人。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172369.htm
にもある。

 「■写真集『車椅子の眼』/詩集『車椅子の青春』(一九七一)

 […]
 七五年版にはこの人の詩は九つが収録されており、その名前の横には「四六年七月八日死亡・二〇歳」と記されている。詩集が最初に出たのは七一年一月で、写真集は二月。この時には生きていて、そして詩が書かれたのは、中三というのだから、その五年ほど前ということになる。中三の時の詩にいくらかが加わって詩集の方に収録されたということかもしれない。そして映画でも詩が読まれるというのだから(未見)、そこにも共通しているものがあるのだろう。
 この写真集について幾つか記述がある。山田富也の七八年の小説『さよならの日日』★07より。文中の幸司はその小説の主人公で、小説の終わりに亡くなる。

 「西上と三階の成人病棟の患者をテーマにした写真集「静かな世界、小さな世界」を幸司が見せられたのは、栗原にかわって同室になった藤原信夫からである。藤原は、中学校三年生であった。
 写真集のぺージを一枚一枚めくりながら、幸司は、進行性筋ジストロフィーがほんとうはどんな病気か、初めてわかった。カメラの濁りのない、客観的な目なとおして、患者の暗い現実が見事にとらえられていた。もう指しか動かなくなった最重度患者が、じっとこちらを見すえている。静かな怒りと怨みの光が目のなかにあった。森に侵入してきて、理不尽に鉄砲をうち回る人間に出会いがしらに撃たれて死んでいこうとする鹿の目をそれは思わせた。挑戦するように、じっとカメラのほうを見て、手で撮影を拒否している青年もいた。訓練室で、苦痛に顔をゆがめて機能訓練に励む小学生の姿もあった。廊下の真ん中でひとりで車椅子の車輪のスポークを指先だけで一所懸命たぐりよせ、車椅子をなんとか少しでも移動させようと孤独な戦いを挑んでいる青年もいた。
 幸司が、もっとも衝撃を受けたのは、二十歳だという人の裸の姿だった。栗原よりももっと痩せていた。鎖骨の上下がひどく落ちくぼみ、両肩の骨の間に、首が埋まるようについている。肩や胸の肉がおちて、肩の骨が鋭角的にせり出してきているためにそんなふうに見えるのであった。まるで皮をかむった骸骨であった。頭に比べて、身体全体が細くなって、一見小さいという印象を受けた。幸司は、訓練室で見たふたりを裸にすればこうなるかもしれないと想像した。目は、静まりかえった湖の表面のようだった。無表情でなにを考えているのか、写真からはわからなかった。
 「進行性筋ジストロフィー症は死≠フ病である。朝生まれて昼には死んでしまう蜉蝣のように、療養所という檻のなかで、患者は、ごく短い生涯を閉じる」
 解説の欄に病気の実態が綴られ、いまだに病因解明、治療法開発のための研究体制をうち出そうとしない行政の不備が指摘されていた。
 ふいに、幸司は、まだ小学生のころ読んだ少女マンガの物語をまざまざと思い出した。/(あの話はほんとうだったんだ。栗原は、筋ジスで死んだんだ。そうか。栗原は、数をかぞえることによって、死の恐怖と闘っていたのにちがいない。かわいそうに。あいつは自宅療養なんかじゃないんだ。個室で死んで、退院していったんだ。ボクにも、もうすぐ死がやってくる。)、
 進行性筋ジストロフイー症がそんなに恐ろしい病気だなんて、幸司は信じたくなかった。/(筋ジスはなおる病気だと思っていた小学生のころはよかった。療養所にきて、なおらないと聞かされ、こんどは死につながる病気だなんて、どうしよう。どうしたらいいんだろう。死ぬのは苦しいだろうか)」(山田[1978:138-140])

 「手で撮影を拒否している青年」は山田だが、それは映画でのことだった。幾つかが混ぜ合わされて現実には存在しない写真集のことが描かれる。写真集に「蜉蝣のように」といった文言もない。ただ水上勉――この人も連載で幾度か取り上げてきた――の「序」に「一日一日やせてゆき、まるで陽の翳りをうけて七色に輝くあの貝殻のように、腐蝕していくのである」という文はある(水上[1971:1])。その手前、序の書き出しは以下のようになっている。

 「進行性筋萎縮症。この病気にかかった少年は、死の道を急ぐ。現代医学は、この病気を快癒させる方法を知らない。少年たちはなぜ、こんな、悲しい病気にまといつかれたか、父からも母からも、お医者からも、聞かされたことはない。親たちは嘘をつき、お医者たちも嘘をつき、この施設へ入れば病気はやがてなおって坊やはやがて退院できるのだという。つれてこられた子は、ここが悲しみの場所であることを知らないのだ。世の中に、このような悲惨な施設はまたとない。それだけに黄金の命をいと惜しむお医者や看護婦たちの眼は明るく澄んでいるが、知らぬまに、一人減り、二人減りしていく空ベッドを眺めて、昨日までそこで一しょにあそんでいた友はどこへ行ったのか、子らがたずねても教えてくれる人はいない。お医者や看護婦はにっこりして、退院していったのよとこたえる時もある。」(水上[1971:1])」

★07 この小説は七九年に映画化された。主演したのは山田富也の兄の山田秀人(cf.山田秀人[1983])。


UP:201705 REV:
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