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写真集『車椅子の眼』(1971)

「身体の現代」計画補足・363

立岩 真也 2017/05/08
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1888220034778308

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 以下引用は「高野岳志/以前――生の現代のために・21」。
http://www.arsvi.com/ts/20170133.htm
より。高野岳志(1957〜1984)の他、山田富也(1952〜2010)、渡辺正直(1954〜2012)、石川正一(1955〜1978)、福嶋あき江(1958〜1989)といった人たちについて書こうとしている。ただ手許にある情報はわずかだ。なにかお持ちの方、ください。知っている方、知らせてください、と繰り返している。
 ちなみにこの回は、『現代思想』2017年5月号。特集は「障害者――思想と実践」。目次、そして一部の執筆者についての頁へのリンクは
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#05
にあり。そこからすぐに注文もできる。
 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172363.htm
にもある。

 「■写真集『車椅子の眼』/詩集『車椅子の青春』(一九七一)
 高野が筋ジストロフィーのことを認識したのは写真集『車椅子の眼――筋ジストロフィー症の子どもの誌文と写真集』(鳥海・堰合・今野[1971])によってだという。この写真集は、入所者三人が撮った写真と入所者の文章、院長や教諭の文章他で構成されている。鳥海は一九四三年生まれの比較的進行の遅い筋ジストロフィーの人。六四年に、つまり国立療養所の筋ジストロフィー者の受け入れが始まった年に、西多賀病院に入所。あとの二人は脊椎カリエス。
 鳥海はその後も写真を撮り続け、七六年に次の写真集『存在』(鳥海他[1976])を発表する。初めは三五ミリの一眼レフで、次にハーフサイズのカメラで、そしてそれも手で持ち上げることが難しくなるとエレベーター付の二脚を車椅子につけて撮影した。それが日本リアリズム写真集団の雑誌『写真リアリズム』に取り上げられる。「『車椅子の眼』の時は、撮影対象が小中学生が主だったので、もう少し年齢を上げ、自分たちの内面的な問題を続けて撮ってみようという漠然とした気持ちで撮り始めたのが今回の『存在』の写真なんです。」(鳥海他[1978:46])
 雑誌にその写真集の一部が掲載され、続けて座談会の記録が載る。司会を務めた伊藤知巳が、脳卒中で車椅子生活を続けながら撮影を続ける土門拳の「頑張れ」という色紙とサイン入りの写真集『筑豊のこどもたち』を携えて病院を訪れ、座談会が行なわれた。西多賀病院には入所者用の暗室があってそれを使っていること、膨大なフィルムと紙が消費されたこと、等々が語られる。長谷川清(筋ジストロフィー、六六年に入院)、平山一夫(六三年に脊髄損傷)、高橋幸則(筋ジストロフィー、中学一年で入院、それまでの人生の半分の十二年を病院で過ごす)に、毎週のように病院に通ってきた宮川長二が加わり、写真を選び、構成を決め、キャプションを考え、写真集が作られていった。
 『車椅子の眼』について、その編集後記には、さきの映画を監督した柳沢が「筋ジストロフィーの子どもたちを理解する一助にもと、君たち自身の眼でみた子どもたちの姿を撮ってくれるように頼んだのでした。[…]映画が完成したとき、これらのスチールは、単に資料としての価値以上のものを示していたのでした」とある。また『存在』の後の座談会で鳥海は「柳沢寿男という監督がここの病院で『ぼくの中の夜と朝』という記録映画を撮った時、わたしと写真の好きな仲間たち三人でスチール写真のお手伝いをしました。その時撮った写真を写真集にしたらという話が出て、プロの方が写真のセレクト、編集をし、出して下さった本〔が『車椅子の眼』〕なんです」(鳥海他[1978:46])と語っている。」


UP:201704 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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