以下、「「社会モデル」・序――連載・57」(『現代思想』2010-8)の終わりの部分。この後が「「社会モデル」・1――連載・58」(『現代思想』2010-9)。話はたしか完結していないのだが、書いた分を『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
にまとめ、提供している。知りたい人、気になっている人、考えたい人には役に立つと思う。どうぞ。なお、フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172346.htm
にもある。
「■「社会モデル」
「障害の社会モデル(social model of disability)」という主張がある。私はその主張を基本的に支持する立場に立つ。だがその社会モデルとは何か。あるいはどのようなものと考えたらよいのか。
次のように言われる。
「我々の見解においては、身体障害者を無力化しているのは社会である。ディスアビリティとは、私たちが社会への完全参加から不当に孤立させられたり排除させられることによって、私たちのインペアメントを飛び越えて外から押しつけられたものである。このことを理解するためには、身体的インペアメントと、それをもつ人々の置かれている社会的状況との区別が不可欠であり、後者をディスアビリティと呼ぶ」(UPIAS[1976:3-4])
また、「社会モデル」の説明として、知られている人にはよく知られており、よく引用されるマイケル・オリバーが作った、国勢調査局(OPCS)の調査の質問のリストとそれに対する代替案のリストがある。
「質問1 OPCS:「あなたの具合の悪いところはどこですか?」
オリバー:「社会の具合の悪いところはどこですか?」
質問2 OPCS:「どんな病状によって、物を持ったり、握ったり、ひねったりすることが難しくなりますか?」
オリバー:「瓶、やかん、缶のような日用品のいかなる欠陥によって、持ったり、握ったり、ひねったりすることが難しくなりますか?」(十個ある問答のうちの最初の二つ、Oliver[1990:7-8]、訳は星加[2007:47-48])
今回はここまでにする。次回から考えてみる。」