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1960年代初めの脳性麻痺

「身体の現代」計画補足・343

立岩 真也 2017/04/17
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1875859162681062

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『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙   立岩真也『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』表紙   立岩真也編『与えられる生死:1960年代』表紙   立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙
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 「小児マヒよりもっと恐ろしい病気がある。脳性小児マヒがそれである。」というところまで引用した松山善三1961「小児マヒと闘う人々」の冒頭の次の部分。小児マヒはポリオ。脳性小児マヒは脳性まひ(マヒ・麻痺)、CP。
 04/22(土)日本社会福祉学中部地域ブロック部会主催2017年度春季研究例会研究例会 、「相模原障害者 殺傷事件から問い直す『社会』と福祉」での講演「道筋を何度も作ること――7.26殺傷事件後」
http://www.arsvi.com/ts/20170422.htm
関連もあり。松山のその文章の全文は『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』(立岩真也編、2015)
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
にあり。その2番目にこの松山の文章。「整肢療護園」には横塚晃一がいたこともある。ちなみにここで再掲するつもりはない1番目に載せたもの(基本時系列に並べている)は、1961/07/13 「重身障者をもつ父として」,『朝日新聞』1961-7-13 東京夕刊: 2(投稿・「声」欄)
 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172343.htm
にもある。リンクはそちら(こちら)の方が多い。

 「小児マヒ脳性小児マヒ、そして精神薄弱児はよく混同される。ことに脳性マヒの場合、脳性という字がつくので、精神薄弱と同一視される。脳性マヒは英語ではCerebral Paralysisといい、略してCPという。大部分は出産時の障害による、頭蓋内出血による先天性のもので、ヴィールス性の小児マヒとは全く違う。普通いわれる小児マヒは脊髄性小児マヒといい、患者は運動筋が弛緩してダラダラした感じになるが、CPは反対に硬直する。しかも、これがほとんど全身を襲うので肢体不自由児の中でも悲惨な例が多い。
 こうした人々の後遺症の治療と対策は常に急を要する問題であるが、しかし、全世界でも、これが最上の施設と対策であるといえるものはできていない。各国とも、重症者であればあるほど、施設や保障の恩恵から見はなされている。
 整肢療護園の副園長、小池文英氏は施設と治療、そして患者の将来についてこう語ってくれた。
 「小児マヒが発生してから、急激に肢体不自△119 由児に対する関心が高まり、施設の不備を云云する人が多くなった。もちろん、施設は完全に足りているとはいえないけれど、世界的に見た場合、日本が非常に遅れているとは思いません。これだけの設備を持つ療護園は、アジアはもちろん、欧米にも、そう数はありません。ただ、日本で一番不足しているものは、患者の治療、訓練にたずさわる理学療法師と職能療法師です。例えば軽症の肢体不自由師と職能療法師です。例えば軽症の肢体不自由児を手術しても、そのあとの訓練とマッサージは、ほとんど家庭のお母さん方にまかされ、専門的な治療をうけることができない。どだい日本には、理学療法師を育成する学校がないのです。日本人は見ようみまねでマッサージをこなし、機能回復の訓練を一時的にやって、それでおしまいにしてしまう。収容施設の完備も大切なことですが、最も大切なことは、肢体不自由児の世話と訓練をひきうける、そういう人間を養成することですね。脳性マヒの人にはどんな治療をほどこしても、現在の医学では機能を回復することのできない、不幸な人たちがあります。そういう人たちは、当然、国家の機関や施設で一生を保護されなければならないと思います。その他、すべての肢体不自由児は健康な人々にくらべて、どこかにハンキャップがあるのですから、同じ社会で、同じ仕事をすれば、健康人に多少、劣るのが当然ですよね…そういう人たちばかりが従事する工場や、そういう人たちばかりが住む町ができたら理想的なんじゃないでしょうか」という。」


UP:201704 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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