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『わらじ医者の来た道』あとがき・1

「身体の現代」計画補足・337

立岩 真也 2017/04/01
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1866387440294901

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『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙   立岩真也編『与えられる生死:1960年代』表紙   『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙
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 本日(4月1日)23日NHKで「こんなはずじゃなかった ~在宅医療 ベッドからの問いかけ~」。ディレクターの川村雄次さんからお知らせをいただいた。それは「早川一光」ページに掲載しておいた。
http://www.arsvi.com/w/hk10.htm
それで、『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』 http://www.arsvi.com/b2010/1509hk.htm
の「あとがき」(立岩)のはじめの部分を掲載することにした。
以下で「京都の十全会病院事件のことをすこし調べていて」は『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』になった。
http://www.arsvi.com/ts/2015b2.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172337.htm
にもある。


 「■あとがき

 そのインタビューは二〇一四年八月一日、京都の夏はいつもとても暑いのだが、やはり暑いその日の午後、早川先生の自宅のすぐ近く、先生が主催されている「幸・総合人間研究所」という名の付いている一件屋で行なわれた。(そこはまた、私の勤め先である立命館大学・衣笠キャンパスのすぐ近くで、うかがうまでそんなに近くに住んでいることを知らなかった。)
 メールを探してみると、その年の六月一五日、青土社の編集者、『現代思想』編集部の栗原一樹さんからその関係の第一信が届いている。九月号で「医者の世界」という特集(もう一つ仮題もあったが、そのうちこの題、「医者の世界――新しい医療との向き合い方」に決まった)をするけれども、誰かにインタビューをするはどうかという提案だった。これまで私はこの雑誌で幾人かにインタビューをさせてもらっているのだが(→171頁・註02)、一度インタビューしたことのある山田真さんともう一度もあり、といったことも含め、何人かの名前をあげていただいた。どうしたものかとしばらく考えていて、同月の二六日に早川先生ではどうかという返信をした。
 それがどんな経緯だったか。思いついて栗原さんに送った六月二六日のメールには、私が大学院でやっている授業にもぐりで来ている萩原三義さん(「生存学研究センター」の客員研究員でもある)を見かけて、というようなことが書いてある。萩原さんは本業の鍼灸の仕事以外にほうぼう手広△227 い活動をしている人で、先生とは懇意とのことで、彼から先生の話も聞いていた。そしてその頃私は第3章に記したように京都の十全会病院事件のことをすこし調べていて、その地の数十年前のことに関心があった。おおいに儲けたその病院と、それと対照的な実践と距離との関係にも関心があった。
 栗原さんから同日あった返信は、ちょうど市田・石井[2010]を読んでいて堀川病院への言及のあたりに差し掛かったところだった、早川先生に、がよいと思うとのことだった。それで萩原さんに打診してもらい、実現の運びになった。
 私は、たくさんある早川本を買い込み、にわかの予習をした。務めている大学院で研究している先生の次女・西沢いづみさん(→第4章)の論文にもあらためて目を通した。そしてインタビュー当日になった。栗原さんと萩原さんが同席した。その時のインタビューが第一章。
 […]」

UP:201704 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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