『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』第1部第2章「障害者殺しと抵抗の系譜」が立岩[2017]。
花田春兆の文章をたくさん全文収録した立岩編[2015]は『与えられる生死:1960年代』
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していく。これがその第13回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172334.htm
にもある。
「■「体制」の問題とされたことに
[…]
一九六四年に筋ジストロフィー、重症心身障害児に対する施策が始まると述べたが、施設の使いまわしだけが目指されたのではない。新しい施設が構想された。社会開発懇談会が一九六五年に「中間報告」(社会開発懇談会[1965])を発表する。その報告を受けて七一年に知的障害児の施設「国立のぞみ園」が開設される。重心、筋ジストロフィー、国立療養所を巡る動きと時期が重なっているだけではない。この時期の動きに関わっている人が懇談会のメンバーになっている。座長は葛西嘉資(社会福祉事業振興会長)、副座長は牧賢一(全社協事務局次長)。そして秋山ちえ子(評論家)、井深大(ソニー社長)、菅修(国立秩父学園長)、糸賀一雄(近江学園長)、登丸福寿(コロニーはるな郷長)、仲野好雄(育成会専務理事)、関根真一(国立武蔵療養所長)、富田忠良(国立箱根療養所長)、小林提樹(島田療育園長)、小池文英(整枝療護園長)、三木安正(東大教授)、宮崎達(国立国府台病院長)、菅野重道(国立精神衛生研究所精神薄弱部長)、浜野規矩雄(藤楓協会理事長)。
島田療育園の小林提樹がいる。びわこ学園(他)の糸賀一雄がいる。国立療養所・国立病院の関係者がいる。精神障害者のための国立療養所である武蔵療養所についてはそこでの生活療法を巡る争いについて『造反有理』で紹介した。小池文英についても連載でふれた。そして、秋山ちえ子も伴淳三郎・森繁久彌らとともに「あゆみの箱」の活動にも関わり活躍した人だった。井深大には『0歳からの母親作戦』(井深[1979])、『幼稚園では遅すぎる』(井深[1998])といった著作が多数ある★06。
そしてこのコロニー構想について、やはり――というのは、立岩[2017]でも紹介したように、六〇年代前半の言説に懐疑的・批判的だったのは、脳性まひ者で同人誌『しののめ』を主宰するこの人だったからだ――花田春兆が批判している。ただその批判は施設全般に対するものではない。
「「作らないよりはいい。この事実と現段階での必要性の強いのは認めるね。だがどうせ作るのなら、キチンとしたスケールとビジョンを持ったものでなくてはならない筈だ。だから文句をつけておくんだがね。第一、作る動機だよ。また有名人のチカラ一つで左右されている事実。どうも後味が悪い」
「水上・秋山・伴の三氏らに突上げられた橋本〔登美三郎〕官房艮官の鶴の一声で具体化への運びになったらしいが、本当に必要性があるものなら無名人の陳情によってだって作らなければならない筈だし、予算がないものなら誰が言おうが出来ない答だよ」
「それがすぐ出て来るから不思議さ。それにあの三氏は熱心かもしれないが、身障者自身でもなければ、この問題のエキスパートでもない。まして橋本長官においておやだ。」」(花田[1965:34-35→2015])
ここは始まりの部分。全文は立岩編[2015]に収録した。施設を作ることには賛成だとしつつ、近くに小さいものをたくさん作った方がよいこと、医療設備・機器に金をかけることはないこと、伴淳三郎ら芸能人など素人の意見が通ってしまうことへの疑義、国立への移管によって二重に退職金が発生することへの疑問、等が架空対談のなかで語られる。
★06 中間報告にもふれ日本での「社会開発」概念の出現について杉田[2015]。登丸福寿について登丸寿一[2009]、大塚[2015]等。のぞみの園の歴史について遠藤浩[2014]他。」