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「体制」の問題とされたこと

「身体の現代」計画補足・333

立岩 真也 2017/03/24
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1864541513812827

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『現代思想』2017年3月号 特集:社会学の未来・表紙   立岩真也『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』表紙   立岩真也編『与えられる生死:1960年代』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 立岩編[2014]は、立岩真也編2014/12/31 『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』,Kyoto Books
http://www.arsvi.com/ts/2014b2.htm
この連載?の以下でもふれている。
◇2017/01/13 「楠敏雄/岸田典子――「身体の現代」計画補足・296」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1831528110447501
◇2015/09/08 「資料集・1(被差別共闘/楠敏雄)」←『そよ風』――「身体の現代」計画補足・59」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1645739742359673
岸田[2017]は岸田典子
http://www.arsvi.com/w/kn03.htm
の、『Core Ethics』に掲載される論文。またお知らせする。

 ついでにさらに関連情報。
◇立岩真也編2015『与えられる生死:1960年代』
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
◇立岩真也2016『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』
http://www.arsvi.com/ts/2016b1.htm
の表紙を作ってもらった。価値あるものだと私は思っているのだがこれまでなかなか目立たないがゆえに?知ってもらえなかったと思って、作ってもらった。これから、ときどき、宣伝にあいつとめることにします。

 『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していく。これがその第12回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172333.htm
にもある。

「■「体制」の問題とされたことに
 こうして、施設を巡る種々の経緯や仕組みの堆積のなかで、「地域移行」や「脱施設」は誰もが否定しないことであるのに、出たいが出られないことが起こり、そしてそれが表に出ないこと、膠着し、滞っているという現実があり、それを巡る争いごとからその事情を知り、停滞から抜ける道筋を見出せるとも考えている。
 このように考えていくことと、「そもそも」施設(化)をどのように考えるか、施設(化)に対する基本的な批判をどう見るかという主題は、関係しつつ、すこし別にある。そしてそれは、七〇年代になって障害者運動に新左翼運動が関わってきたことをどう見るかということにも関わる。前者は、後者の影響力を弱めようとしてきたが、それでも諸党派が関わった部分はある。順序を変えれば、関わったがそこから離れようとしたところがある★05。そして具体的な組織・人との関係の有無は別として、ことの捉え方において、資本主義や国家権力や帝国主義を頻繁に持ち出すことはある時期には当然のことであり、またすぐ後の別の時期になると何を言っているのかということになってしまう。そしてこれは幾度か述べてきたことだが、共産党との敵対的な関係があり、それが運動のある部分が見えなくされたり否定されたりすることにも関係する。
 そしてこれらのことをいったん別にしてよいのだが、施設収容、それを部分として含む社会福祉政策をどう見るかという主題がある。障害者政策を巡るその種の言論は主に七〇年以降に出現するのだが、そこでは六五年が言及されることがある。

★05 「関西障害者解放委員会」に革共同中核派が関係したことをそこで活動した楠敏雄(cf.岸田[2017])が著書に記している。
 「華青闘の告発を受けて、早くから入管闘争として取り組みを開始し、狭山闘争にも積極的に取り組んでいた革共同中核派が、当時竜谷大学にいた私と仲間数名の「障害者」に関わりつつ、彼らの医療戦線の医師や看護学生をも加えて、七一年春に「障害者」解放運動の組織作りに着手し、その年の一〇月三日、私たちとともに関西「障害者」解放委員会の結成をかちとったのです。/[…]組織の性格としては、中核派の指導を受けてはいましたが、あくまで大衆組織であり、他党派やノンセクトの人たちの参加をも積極的に呼びかけるという独自性が確認され、慎重な組織運営が行われました。
 ところが、七一年一二月に起きた革マル派による中核派の二名のメンバーへの非道な虐殺と、七二年五月の沖縄闘争における「敗北」は、中核派の危機感とあせりを強めることとなり、大衆運動に対する方針を急激に転換することとなりました。すなわち、七二年に入ると彼らは、S支援闘争と荒木裁判闘争については一応中心軸としながらも、沖縄・入管・狭山・三里塚などの政治闘争を闘うことを優先させ、「障害者」への日常的働きかけよりも、これらの政治課題を重要視するようになってきたのです。また、「障害者解放戦線も革マルセン滅をかかげるべきだ」とか「白ヘルメットをかぶって中核派の集会に結集すべきだ」といった主張にみられるように、教条的セクト的対応をも強めてきました。さらに[…]」(楠[1982:26-28]、関連する記述の全体は立岩編[2014]に収録。」


UP:201701 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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