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島田療育園からの脱走事件・2

「身体の現代」計画補足・330

立岩 真也 2017/03/18


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立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『現代思想』2017年3月号 特集:社会学の未来・表紙   寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治『ズレてる支援!――知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 1982年の島田療育園(現在は島田療育センター)からの「脱走事件」について立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』でふれている。
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
そのことを知らせるのは2度め。
 そしてこのことをツィッター(→フェイスブックに転送)に書いたら、フェイスブックの方に岩橋誠治さんからコメントがあった。そのことを障害学のML
http://www.arsvi.com/ds/ml.htm
に知らせた。それが以下(3月8日)。ちなみに
http://www.arsvi.com/b2010/1510ta.htm
は『ズレてる支援!――知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』

――以下――
 「今売っている『現代思想』での連載原稿の一部
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi
http://www.arsvi.com/ts/20172324.htm
に掲載したところ、岩橋誠治さんより
フェイスブック(私はセンターのほう――2日に1つぐらい既載のものを分載しています――も個人のほう――ツィッターの転送だけです――も見られていません
〜メール転送されてくる分だけわかります)
「この職員を様々な人が支え、「多摩市共に生きる会」があって、そこから今の多摩の様々な取り組みへと発展していくのでした。 」
というコメントをいただきました。資料あるかも、そのかつての職員の方にうかがってみるとのことでした。誰か調べるとよいのではと。
岩橋さんは
http://www.arsvi.com/b2000/0811ta.htm
http://www.arsvi.com/b2010/1510ta.htm
の著者でもあります。立岩」
――以上――

◇ ◇
br>  『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載している。以下がその第9回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172330.htm
にもある。


 「■福祉の先駆という語りに
 ハンセン病療養所、結核療養所といった狭義の社会防衛のための施設でないものについては民間の施設が先立つことになる。種々ある先駆的な施設、それを設立したりして貢献した偉人たちについて連載で本格的に扱うことはない。それには、こうした部分については珍らしく書かれたものが相当数あって必要がないからでもある。
 例えば島田療育園は、日赤産院に勤めていた小林提樹と、小林のもとにやってくる子の親たちの活動があって始まった。六〇年代の進展・進歩はその偉人たちの歴史として記述される。実際その人たちが始めたのだし、偉くもあったことに異論はない。それはまちがってはいない。ただ、二つある。
 一つは、いつもそうだが、やがてそれが普通のことになっていく過程だ。重心といえば必ず小林の島田療護園、そして糸賀一雄のびわこ学園が引き合いに出されるが、政策化された後、子どもたちを数多く引き取っていったのは国立療養所だ。そうしたことを看過することになるのであればそれはよくない。
 もう一つ、比べてここで議論するつもりはないが、その偉人たちやその活動についても、見ておくことはできるかもしれない。その「思想」についても、これまで書かれてきたものにすべてをまかせ肯定すればよいとは限らないようだ。ただそれには今回はふれない。偉人伝というわけでない書きものもいくらか増えているようにも思われる。秋田県から「おばこ天使」が看護師として島田療育園にそして後には他の施設にも就職し、そのことが知られ、そうして働いた人による本(藤原[1967])も出て、歌もできた(「おばこ天使の唄」、ロス・プリモス、倍賞美津子、作詩は藤原陽子)。ただそれはいっときのことに終わる(その経緯について科学研究費報告書として細渕[2009]、研究論文に細渕・飯塚[2010][2011])。
 いっときやってきた人が来なくなる辞めていくというのは人手不足がひどくなるということでもある。労使紛争が起こり、小林は疲れて施設長を七四年四月に辞める。そのことについて小林は幾度も語っているが、例えば、「あくまで子どもの福祉を中心にすえていく「平和の社会活動」は、暴力には勝てないことを肝に銘じて教えられる結果となった。このことは、最近の中東問題にもいえようが、だからといって無条件に降伏するのではなく、あくまで非福祉的なものには立ち向かうべきである。この信念を貫こうとする時の私たちの頼みは大衆の世論であり、福祉を達成するための正義を待ち望む人々の姿勢である。」(小林[1991:xiv])
 そして自分たちの仕事がボランティアの仕事であってきたことを小林は語る。今どき無償性をはっきりと肯定する人はあまりいない。ただ、その思想は立派だとはされ、同時に労働者の主張もまたもっともだとされるだろう。そして結局問題は政府からの金が少ないことだとなり、財政の問題が改善されれば問題は少なくなり、もとはわるくない経営者・労働者双方が対立することもなくなるとされる。その限りではやはり対立は収斂するのであり、だとすれば、やはりその詳細を振り返る必要もないということになるのかもしれない。
 ただ、やはり、それだけのことでもない。事件についての本でも紹介したように(立岩[2017:70-73])、八二年に島田療育園からの「脱走」が起こった。」


UP:201701 REV:
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