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いるものはいる、が

「身体の現代」計画補足・329

立岩 真也 2017/03/16
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1860463567553955

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『唯の生』表紙   『現代思想』2017年3月号 特集:社会学の未来・表紙   『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 調べることがあること、私も少しばかり調べることがあることについて書いているのだが、それは、私たちの暮らし向きにじかに関わっていることについてでもある。調べて書いたからといって暮らし向きが変わるわけではむろんない。それでもわかった方がよいと思って書いているのでもある。単純には、いるものはいる、いらないものはいらない。ただそれたけのことではある。しかし、そう簡単にいかなくなっている。それはどういう具合にそうなっているのか。関係する本として他に『唯の生』、第3章「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」。今はテキストファイルで提供。よって安い〜1000円。
http://www.arsvi.com/ts/2009b1.htm
 『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していく。これがその第8回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172329.htm
にもある。

 「■なかでも病院的なもの
 […]
 そしてそれは施設に生活する人の生活に関係してきた。病院としてある施設に暮らすのとそうでないのと異なる。また影響は病院の居住者たちに対してに限らない。人が暮らすのに医療以外の様々が要るのだが、その部分にまわる資源が少ない。また支援にあたる人たちにその部分についての関心や知識が少ない。
 そこには業界の影響力の差が関わってもいるだろう。長い時間の間に、相対的に医療には資源がまわるようになっていて、それは、種々削減に会いながらも維持されている部分がある。入院している人は、それに関わる金の出入りによっては早く退院させたい人であることもあるが、居続けてもらった方がよい人である場合もある。後者は現在は少なくなっているが、いま連載で記している領域についてはそんな部分がまだある。別の本で述べたように精神医療についてもそんなところがある。出たいし出られる人が出られない、協力が得られないといったことがかつてもあり、今も起こっている。そして医療施設にせよ医療施設でない施設にせよ、大きな施設・組織は官僚の天下り先になっていくことがある。後述する国立コロニーのぞみ園がそのことで批判されたことがある(二〇〇三年)。
 そしてさらに加えるべきは、簡単に脱医療と言えばよいというものではないということ、そして実際そんなに簡単なことを人は言っていないということだ。びわこ学園で仕事をした杉本健郎に私がインタビューした記事が本誌に掲載された(杉田・立岩[2010])。それに「人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>」から抗議があって、HPに掲載した(人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>[2010])。医師・医療から見た時、親たち(の一部)が、子の身体に十分に配慮せず無謀に子を施設から出すこと、出そうとすることがあったという話があるのだが、その会、会の人たちにおいてはそれにまったく不服であり、訂正・撤回を求めている。
 命が惜しければ、医療はいらないとまで言う人は少ない。むしろ減らされている中でその確保を求めている。ただ他方で、病院・施設が身体の健康・安全を理由にして種々を制約し、そのなかに不要と思われることがあって、やはりそれを問題にしてきた人たちがいるということだ。だから問題は、まずどちらかを一つということではない。その微妙なところを巡って何が争われたのかを見ていく必要があるということだ。そしてここには制度のあり方、金の流れ方が大きく関係もしている。だから見ていく必要・意義がある。

 ■福祉の先駆という語りに」


UP:201701 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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