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病院から/病院へ

「身体の現代」計画補足・328

立岩 真也 2017/03/14
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1860040910929554

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『生存学』1・表紙   『現代思想』2017年3月号 特集:社会学の未来・表紙   『ALS――不動の身体と息する機械』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 [続き]京都に来て数年たって何人かの人の「在宅移行」に関わることになった。一人めが甲谷さん
http://www.arsvi.com/w/km22.htm
だった。「重度訪問」
http://www.arsvi.com/d/a02j.htm
の制度を使えるようにということで、京都市役所に甲谷さんは出かけ、私たちはそれに付いて行ったりもしたのだ。その後、同じALSの杉江さん。杉江さんは『生存学』創刊号
http://www.arsvi.com/m/sz001.htm
に載っている4本の論文に出てくる。それを読んでもなかなかたいへんだったことはわかるかと思うが、実際にはもっと(ずっと)大変だった。その杉江さんは何年か前に癌で亡くなられた。その大変だった時のことは『生存学』でも書いている西田さんが博士論文に書いてくれるはずだ。ただ「重度訪問(重訪)」制度自体は、本来は、大変ではない。ただ全国一律にうまくこの制度が使えているわけではない。そこでがんばらねばならないこともでてくる。ただ、それは京都の時もそうだった。上記のような交渉をして、それでようやく24時間一人住まいの生活が可能になった。ただ一度それを成功させると、その次はより楽になる。杉江さんはたいへんだったが、杉江さんに関わる制度的保障を得るのはより簡単だった。今度の金沢での試みがうまくいくということは、そのような道筋を作るということでもある。
 ↑今回は前半と後半は、実は関わりつつ、まずは別↓。

◇ ◇

 『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していく。これがその第7回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172328.htm
にもある。

 「■なかでも病院的なもの
 一つ見ておいてよいのは医療、医療と福祉との間にあったできごと、あってきたことであり、そして始まりはどちらでもないところ(しかし医療の名を冠されたところ)から発したという事実である。
 戦前、そして敗戦直後から一九五〇年代を連載では簡単に記した。ハンセン病と結核の療養者の施設が国立療養所に再編されていった。それらは普通の意味で社会防衛のために作られ維持された。そしてハンセン病療養所は長く維持されてしまうが、それよりずっと数の多かった結核療養所にいた結核療養者は少なくなっていく。そうしたなかで、入所者たちの運動は、施設とそこでの生活を護るための運動でもあった。そしてその限りにおいて、労働者と入所者は(さらに時に施設側も)協調することがある。そのことを見てきた。  その代わりに、六〇年代中盤、子どもたちの施設収容策が進んだ。しばらくその流れを追っている。一つは筋ジストロフィーの子たち、一つは重度心身障害児たちだった。その施策・施設はまず親たちによって望まれた。そして請願する親たちに政治家が応えた。その決定を受けて行政が実施することになり、その要請に、厚生省(「本省」と呼ばれる)とつながりのある国立療養所(の経営者たち)が、人員と施設の改善を条件としつつ、また研究を担うとしつつ、応ずることになる――今回はこの部分について記述する予定だった。
 こうして引き継がれた施設は療養所、医療施設だった。それには筋ジストロフィー児や「重心」の児童が病弱な人たちで医療が必要であるからということはたしかに語られるし、それはそれとして当たってはいたのだろう。ただ、それだけのことではない。これからみていくように、医学研究が目的の一つとされることによって医療施設であることが正当化される。研究がなされるとされることによって公金の支出が正当化される。そして医療保険その他の医療制度によって、公金が支出しやすいことも関係する。施設によっても医療・病院の色彩の強いところそうでないところと一様でない――例えばびわこ学園はその色彩が薄く島田療育センターはそうでもないと言われる――が、医療の制度は使われる。  それはその後から現在にも引き継がれていると見るべきだろう。つまり、この国の難病政策と言われるものは医療、とくに医学研究に対する公金の支出として始まり、そして続いてきたところがある。
 そしてそれは施設に生活する人の生活に関係してきた。[…]」

UP:201701 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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