『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していくが、長くかかる。『現代思想』買ってください。この回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172322.htm
にもある。
「■施設化・病院化
このところの連載は、一つに、この国における施設化、病院化、医療化の道筋を辿ろうとするものでもある。今回、一九六〇年代の筋ジストロフィーの子たち、重症心身障害児たちの国立療養所への収容を巡る施設長、医学者、行政の動きを追った原稿を用意していた。ただ、予定を変えるのはもう幾度めかになるが、施設(化)やそれへの批判の行動・言説を追うことに関わって、いくつかのことを述べることにする。一つ、さきが長くなるためにかえって、ところどころでその意義について記す意味もあると思った。
一つ、昨年に事件が起こり、やはりその時にも施設/脱施設を巡って様々言われたとともに、その言いにくさが感じられた。脱施設に誰もがおおまかには異論はないとして、それは「すべて」に及ばせるものと考えるべきなのか、そうだと言うとそれは難しそうに思え、そのように言わないと「線引き」を認めるのかということになる。どのように言えばよいか。そして過去の事実を知ること記述することはこのような問いにどのように関わるのか。
ついでにもう一つ、前回、文献・資料を集め示すことについて述べたのだが、今回もこのことに関係する。この連載に記していることに関わる研究論文が近年比較的数多く出されるようになったという印象を私は受けている。そしてオンラインでの検索と入手が手軽に行なえるようになっている。他方、過去のパンフレット、ビラ、報告書、機関誌の類には入手困難なもの、それ以前に、探し出されて初めて存在が確認できるものがある。そして前回記したように、書かれたことによってわかることは限られている。ただあるものを組み合わせ、調べられることは急いで調べて書けるうちに書いていくことなる。その本体を私が作っていくというより、それを促すために、この連載やその今回他を書いている。事実の断片や、文脈を試しに示してみようとしている。
■かつて書いたこと残されたこと」