生存学研究センターのフェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172314.htm
にもある。
『現代思想』2017年2月号(特集「ビットコインとブロックチェーンの思想――中央なき社会のゆくえ」)に掲載された連載第130回を分載しているその第14回。
http://www.arsvi.com/ts/20170130.htm
は、その第130回に対応した文献リスト。「リスト◆に書き出した」リストは
http://www.arsvi.com/ts/20170130.htm#d
だが、作りかけであることに気付いた。増補します。すみません。
「■複数の存在、に由来する不在
調べることが始められたのはよいことで、なされていくと思う。私は、それを一部に含む種々について、大雑把なことを言おうと思う。再度繰り返すと、括られたり、分けられたりするそのさまをざっと追おうと思う。そのためには雑多な種類の文献・資料に当たった方がよい。最初から限定しないことが、限定された部分を見るためにも、必要になる。
例えば患者の運動と障害者運動の「ある部分」とはなんとなく分かれている。そのある部分については、『生の技法』にそれまでにあったもののあらかた――その時、その部分については研究論文・本の類はほとんどなかった――をあげた。その第三版(安積他[2012])に加えた第一〇章(立岩[2012])で二〇一二年までに出た文献を加えた。それらとその後に出た書籍をリスト◆に書き出した。研究は、もっとなされてよいと思うが、それでも他に比べれば厚みが出てきている。生活が運動のなかで、運動とともに成立したということもある。その生活や生活をする人々が好きだと思い、運動がおもしろいと思った人たちがいて研究もいくらか進んだ。ただ一九七〇年代に始まったそれが、とくに一九八〇年代までについて、それまでの運動に対して対抗的なものとしてあり、そのことによって、それ以前の流れから批判されたり、あるいは無視されてしまうものとしてあったことについて、「障害学」の出自がかなり偏ったものであることについて、研究者自身においても、ときに運動家たちにおいても、自覚されていないことがある。それはよくない。そんなこともあって「運動史」の計画を書いたのでもあり、時々書き直しているのでもある。以前にどんなことがあったか。」