伊藤智樹の『ピア・サポートの社会学』他、「ALS介護における家族の役割取得」(石島健太郎[2013])等々、『現代思想』2月号掲載の連載第130回(これを分載している→今回はその7回め)の文献表
http://www.arsvi.com/ts/20170130.htm
から全文あるいは情報頁にリンクされている。ご覧ください。また以下で「医療と福祉の関係・境界設定のあり様が関わってしまうから、調べていけば、そうした部分に目が行くことにもなる」と記しているそういう部分については『ALS』
http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm
でいくらか書いている。いま続いている『現代思想』の連載はその「前史」を書いているというものでもある。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172307.htm
にもある。
「■医療社会学的にコレクトなもの/そうでないもの
[…]
そしてさらに、なおしてしまうことはできないとしても、世話はすることになるし、暗くなってしまいがちな気持ちを支えようという営みが行われることもある。それは看護などの営みとして、そして看護学などの書きものになっていく。また本人たちが互いに助け合うということがあるから、そのことに関わる実践や記録があり、それについての研究も成立する。そしてそこには、本人と介助者、本人と家族の間等に様々な葛藤が起こる。それを調べていくという道筋がある。こうして、こういう方向の研究は「ケア」「支援」に関わる研究になっていく。例えば、『ピア・サポートの社会学――ALS、認知症介護、依存症、自死遺児、犯罪被害者の物語を聴く』(伊藤智樹[2013]、その人の論文に「英雄になりきれぬままに――パーキンソン病を生きる物語と、いまだそこにある苦しみについて」(伊藤[2010])、「ALS介護における家族の役割取得」(石島健太郎[2013])、等。
病とされるものも障害ともされるものもケアの対象になるから、とくにその日本的な展開においてそれは障害学の対象ともなる。そして、病だから、という事情とともに、むしろ障害がきついといった事情が入ってきて、より面倒な部分も含むものがある。私の周囲にもALS他のことを調べる人たちがいっときたくさんいて、書いたものがある。それらは『生存学の企て』の「補章」(立岩[2016a:203-208]、「ケア場」)で紹介している。やはり多く「関係」に焦点が当てられるのだが、医療と福祉の関係・境界設定のあり様が関わってしまうから、調べていけば、そうした部分に目が行くことにもなる。例えば、ある制度が知られていなかったり、使われていないことがある。その事情を調べようということにはなる。その必要はそうした現在から生まれるのだが、調べていくのは現在の「臨床」を調べるのとはすこし別の、時間を遡っていく仕事になる。そしてそれは、ケアの学の内部にあるというより、例えば看護(学)を対象にするというものになるはずである。」