HOME > Tateiwa >

本を集める・1

「身体の現代」計画補足・302

立岩 真也 2017/01/25
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1838073493126296

301 < / > 303

Tweet


『現代思想』2017年2月号 特集:ビットコインとブロックチェーンの思想――中央なき社会のゆくえ・表紙   立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「生の現代のために・18:資料について」は
http://www.arsvi.com/ts/20170130.htm
です。文献(のリンク先含め)これから足していくので時々見てください。&抜けている本たくさんあると思います。教えてください→tae01303@nifty.ne.jp(立岩)。
「病者障害者運動史研究」は
http://www.arsvi.com/d/hsm.htm
そこから科研費の申請書類も読めるようになっています。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172302.htm
にもある。


 「■資料を集め示すということ
 今回は、一九六〇年代の話の続きをまた次回に延ばし、資料・文献を集めたり並べたりすることについて記す。そのために文献のリストを整理し作ったのだが、そのリスト自体がこの連載の一回分の分量になった。本の冊数は二五〇冊ほど。もともとリンク先のファイル(ページ)を見ることに意義があるものでもあるから、リスト(にあるものは◆を付す)はHPの方に掲載し、ここには置かないことにした。単行本にする時にはそのリストも付すことにする。著者のHPを検索し、その二月一日の「生の現代のために・18:資料について」から見てもらいたい。
 断続的に、非系統的に、そしてわりあい手広く、本や雑誌を集めて、そのリストを作ったりしている。自分で全部を手がけるつもりはなく、むしろつもりがないから、また可能なことでもないので、そんな人が現れた時のためにと思い、対象を広めにとって作っている。そしてこの連載自体が呼びかけなのでもある。しかし人はそうたくさんは現れず、また気持ちはあるが別の仕事が忙しいという人もいて、結局まずは自分で、ということもあってしまう。
 だが、どんな方向で集めるか、そして集めたものをどのように示すかということがある。分けるとして、まとめるとして、並べるとして、それをどのように行なうかということがある。例えば論文では先行研究を紹介してから本論に入るというのが作法なのだが、なをどのように並べるか、それはときにそう容易でない。
 『相模原障害者殺傷事件』に収録されている杉田との対談(討議)(立岩・杉田[2017b])でも述べたことだが、そして前回それに補足したのだが、複数の流れがあり、それが継承されたり断続したり対立したりする時には、それを捉えておく必要がある。それは迂遠なようであっても必要なことであることを繰り返して述べている。その簡略な構図を少しずつ考えを足して示している。「病者障害者運動史研究」の計画の二〇一五年のものをこの連載で、そして二〇一六年のもの(立岩[2016b])をHPに掲載してある。
 まず障害と病気、障害者と病人という分け方がある。そして例えば障害者運動についての文献はあるが、病者運動、患者運動についてはあまり書かれたものをみない、といった具合に言われることがある。ただ、障害と病気との間にどんな違いがあるか。重なりつつも分けることはできることを本連載でも、また他でも述べてきた。ただ私は私なりに分けられることと、本人たちや周囲の人たちがどのように病気や障害といった言葉を認識し、あるいは認識せず、使っているかはまた別のことである。偶然的な事情も含めて、ただそう呼ばれてきたからそれを引き継いでということもある。医療が担当するから病気であり、病者であり、病者の組織であるという規定がなされることもある。ここではとくに区別して一方だけを取り出す必要はない。いったんは全体を捉え、そして必要に応じて分けていくことになる。そんな作業が必要とされる。後でそうした仕事があまりなされていないこと、その事情を述べる。」


UP:201701 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
TOP HOME (http://www.arsvi.com)