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一つでよい、ただ

「身体の現代」計画補足・301

立岩 真也 2017/01/23
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1835350580065254

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立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 窪田好恵は
http://www.arsvi.com/w/ky20.htm
重症身心身心障害児施設については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
『現代思想』での連載
http://www.arsvi.com/ts/20160120b.htm
でも重症身心身心障害児施設が始まった時期のことについてふれている。新刊『相模原障害者殺傷事件』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
にも関連する記述がある。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172301.htm
にもある。


 「■4 言葉にしていくこと

 […]
■4 組織・運動
 […]
 誤解する人がいるのだが、「わざと」批判的であるべきだとか、中立であるべきだ、といったことを私はまったく思わない。肯定されるべきもの、肯定したいものは肯定すればよい。なにかを主張したければすればよい。むしろ、そのためにどのように距離をとるか、別の見方ができる可能性を考えることが必要になってくる。その魅力を伝えたいなら、読んで恥ずかしいあるいは白けてしまうものだったら逆効果ということになる。そのことは言う。
 そして、一人ひとりが書くのは一つでよい。ただ、その距離感や別様に見る可能性を知るのためにも、周りの教員他は、その周辺のことで知っていること、どことどこは喧嘩をしていたずだといったことを、知っている限りで伝える。例えば、1970年前後、今は「難病」という言葉からは連想されにくいスモン病や腎臓病の団体が「難病」者の運動やその組織化に寄与するにあたってはこれこれの事情があったはずだといったことを言う。重症身心身心障害児施設、そこでの看護を中心に研究する窪田好恵から1960年代辺りを教えてもらい(窪田[2014][2015])、その関係の親の組織が他とどのように違いまた共通するかを言ってみる。そして、この補章の2で述べたように、他の人の研究と意外なところでつながっているはずだといったことを、考えつく限りで言い、3で述べたように、ここは混んでいるがここはすいているとか、すいているけれど難しそうだが、それでよいか、などと言う。」


UP:201701 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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