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楠敏雄/岸田典子

「身体の現代」計画補足・296

立岩 真也 2017/01/13
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1831528110447501

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立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 楠敏雄については、岸田のために、というほど人がよくはないが、立岩真也編2014/12/31『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』
http://www.arsvi.com/ts/2014b2.htm
というものを作って売っている。おもしろいと私は思います。どうぞ。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172296.htm
にもある。


 「■4 言葉にしていくこと

 […]
■3 人と人たち
 […]
 もう一人、こちらは知る人ぞ知る人ということになるが、楠敏雄という人がいた。岸田典子はかつて銀行勤め等をし、現在はNPO法人に関わったりしている全盲の人だが、1970年代以降の障害者運動を率いたやはり盲人であった楠について書こうとしている。博士予備論文として岸田[2013]があり、その研究を続けている。ただやっかいなのは、その対象=主人公であった楠が2013年に亡くなってしまったことだ。当然それまで、楠の健康に気遣いつつなされたきたインタビューも行なえなくなってしまった。そこでどうするかを考えながら続けていかねばならないことになった。
 楠はものを書くのが仕事であった人ではなく、本人に多くの著作があるわけではない。彼がそのときどきに関わった人や運動、社会状況を織り交ぜながら書いていることになるだろう。そしてここでも、長いものの一部を単発の論文としても、なかなかその意義を求めてもらいにくいという悩みをかかえながら、やっていくことになる。その困難は、学術雑誌論文というものにある、それ自体にはあまり合理性のない制約である。これは、一つの論文で一つなにか「それらしいこと」を言ってみるといった小さい工夫を重ねて乗り切るしかない。
 ただそんな努力にどれだけの意味があるかどうかはともかく、その人について一つの長いものが書かれる意義はある。というか、意義のある人はいる。その意義は、「天才」というような類の人についてもあるのだろうが――しかしそれはそれで、挿話集はできても、書きにくいように思われる――時代がその人を押し出したり疲弊させたりしたというような人についてある。すると、楠のように亡くなってしまった人については、本人が既にいないから仕方なくということもあるが、その人の周辺に何が起こったかを書き込んでいくというやり方がある。(そこで楠の追悼文集に寄せられた文章を年を追って並べてみたという資料集(立岩編[2014]をまず一つ作ってみた。)」


UP:201701 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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