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人物伝もありうる

「身体の現代」計画補足・295

立岩 真也 2017/01/11
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1831250477141931/

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立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『生存学の企て』(生活書院、2016)
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
「補章」の再掲再開第6回(通算第33回)。
2016年に博士(学位申請)論文を提出し、博士号を取得した田中真美は(リンクがないが)
http://www.arsvi.com/w/tm15.htm
神谷美恵子は
http://www.arsvi.com/w/km23.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172295.htm
にもある。


 「■4 言葉にしていくこと

 […]
■3 人と人たち
 論文というものに妙な先入観があって、それがものを書くことを妨げることがある。しかし世に論文と呼ばれるものも、すこし広げて考えてみれば様々ある。例えば夏目漱石が松山か熊本かで何をした誰に会ったといったことを(きちんと)書くと文学の論文になる。誰それが京都のどこの美学校でしかじか学んだことを(きちんと)書くと美術史の論文になる。だから、というのはじつは理由を言うことにはなっていないのだが、個人を取り上げて書いていけないわけでなく、それに意義のあることがある。
 「社会福祉事業史」と括れるような領域には人物伝のようなものもある。それはそれで貴重なのだが、それはたいがい偉人の話で、偉人を偉人に描く。偉い人のことを偉いと書くのはもちろん間違っていないのだが、その上で、それだけでなく何を書くかとなると、すこし工夫がいるかもしれない。
 どこから発するのかよくはわからない熱情をもって、人にとりくんでいる人たちがいる。例えば、博士論文の準備をしている田中真美は神谷美恵子という、よく知られており今もその書きものを読むことができる人のことを書いている。この場合には本人の書きものは書店に行けば売っており、その人の伝記的なものもなくはない。だからどうするかということはなる。だから調べたというわけではないのだが、田中はいっとき神谷が医師として通っていた長島愛生園の資料室他に通って、神谷が関係した人のカルテや記録を調べつくすことになった(田中[2013][2015]))。」


UP:201701 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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