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李旭・梁陽日

「身体の現代」計画補足・293

立岩 真也 2017/01/07
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1829818030618509

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立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

李旭(イ・ウク)は
http://www.arsvi.com/w/lw01.htm
 梁陽日(ヤン・ヤンイル)は
http://www.arsvi.com/w/yy08.htm
この3月博士論文(博士学位申請論文)を提出する。
『生存学の企て』(生活書院、2016)
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
「補章」の再掲再開第4回(通算第31回)。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172293.htm
にもある。


 「■4 言葉にしていくこと

■日常を言葉にする&言葉でない世界を言葉にするのは難しい、が
 […]
■一つ見つけてくること
 […]
 そしてその李は日本に来て高齢者施設で働きながら、そこでの「ユニットケア」と呼ばれるものを研究してきた。ただここは例外的に「混んでいる」場所だろう。すくなくとも実践報告の類はたくさんある。李はいくつかを書きながら(李[2013a][2013b])、その方向でまとめられるかいくらか迷っている間に、しばらくが過ぎた。そして、家庭の事情などあって韓国に戻った李は、その施設を経営する法人の理事長になった。そして、次に会った時、李は主題を変えたいと言った。つまり、自分の祖父が創り、自らも(もと)ハンセン病者の子たちといっしょに育ったその施設について書くことにしたと述べた。それがよい、ということになった。きっと重要な論文が書かれるだろう。そしてこの順番だったから、よかったのでもある。李が主題を変える前に吉田は論文を書いた。順序が逆だったら、吉田が(初めて)書くことは少なくなっただろう。
 一つのことを見つけること、一つのこととして書くこと。これから人についてまた一つの組織について書いたものをいくつか紹介し、いくつかのことを述べる。他に似たようなものもどこかにあるとしても、ただ、まずその一つを書くことだ。梁陽日(ヤン・ヤンイル)は民族学級のことを書いている(梁[2010][2013] )。それは外側との関係においてもまたその内部においても異なるものがぶつかる場所であり、さきに述べた多文化・多言語問題であるとか同化主義という主題に直接につながるのではある。ただそれは、そのように読むこともできる、そんな関心をもって読むこともできるということであって、書き手がそんなところに立ち入らねばならないということではない。民族学級はいくつかあったとして、梁が書こうとするのは梁がじかに関わった場である。その「一つ」について(初めて)書く人は、そこから別の人が何かを考えるためにも、その一つの全体を示してほしいと思う。
 それは人々の努力の結実したものであってきた。それはそのとおりだ。ただそれと同時に、梁から――書いたものよりむしろ――聞いて感じるのは、とてもたくさんの「へー」という感じだ。梁は、せっかく、偶々、その世界にいてしまった。これはまったく特権的なことで、それは大切にした方がよい。ただそれはその本人にとって当たり前であった空間で、そこを端折〓ルビ:はしょ〓ることがときどきある。それは知らない者にとっては困る。まず「様子」がわかること。民族学級として間借りしていたその場所はどのように使われていたのか、あるいは使われてはならなかったのか。「空気感」といった、学術的でない言葉を使ってしまうことがある。それを単発の論文でわからせることは難しい。査読論文に仕立てるのには工夫がいる。しかしそれはなんとかやりくりしつつ、長いものによってその「世界」を書けたらよい。」


UP:201701 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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