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道筋を何度も作ること

7.26殺傷事件後

立岩 真也 2017/04/22
日本社会福祉学中部地域ブロック部会主催2017年度春季研究例会研究例会
「相模原障害者殺傷事件から問い直す『社会』と福祉」

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立岩真也・杉田俊介 2017/01/05 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社

立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』カバー

◆[広告(PDF)] http://www.jssw.jp/district/chubu/chubu_20170422_02.pdf

◆04/22開催要項 http://www.jssw.jp/district/chubu/chubu_20170422_01.pdf

◆日本社会福祉学中部地域ブロック部会 http://www.jssw.jp/district/chubu.html

■第3部 シンポジウム「相模原障害者殺傷事件から問い直す“社会”と“福祉”」(14:00〜17:00)
 ※参加費無料 手話通訳・要約筆記あり
@記念講演「道筋を何度も作ること――7.26 殺傷事件後」(14:05〜15:05)
講師:立岩真也氏(立命館大学)
Aパネルディスカッション(15:25〜17:00)
パネリスト(予定)
・木全和巳氏(日本福祉大学)「語りにくい語りの背景にあるもの」
・森口弘美氏(同志社大学)「障害者の自立と支援――その実現に向けて」
・辻直哉氏(愛知障害フォーラム)「今だからこそ、地域生活をあきらめない」
コーディネーター:河口尚子氏(立命館大学)


立岩真也・杉田俊介 2017/01/05 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社

 「はじめに」の末尾
 「学者は後衛であり、学者の仕事は落ち穂拾いであると思っているところがある([2008/01/31])。二〇一五年の秋に出した科学研究費の申請書を、この(二〇一六年)秋また書類を――つまり二〇一六年度のものは当たらなかったのでまた出さねばならず――出す際に読み返すことがあったのだが、次のように書いてあった。
 「なにより、高齢化、認知症者の増加が言われ、悪意と偏見によってではなく、資源の有限性をもって、社会が護られるべきこと、広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちがそのように思っている。かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動はどう対しているか、またどう対するべきか。分析と考察の精度を上げる必要がある。流動的な現在を把握し、将来を展望するためにも、これまでの経緯をまとめる」(「生の現代のために・8」、[2014-(8),2015-12,118]に再掲)。
 今年提出した書類「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」([2016/11/07]、全文をHPでご覧になれる)でも、この箇所は「多くの人たちがそのように思っている」を「多くの人たちが不安と諦めとを感じている」とした他はそのまま。そのように思っている。幸い殺されなかった人も徐々に亡くなっていくからいくらか焦っているのだが、そうした仕事をしていこうと思って仕事をしている。

                     二〇一六年十一月十七日 立岩真也」


■立岩 真也(研究代表者) 2016/11/07 「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」,017年度科学研究費申請書類(基盤B)
 →採択 cf.病者障害者運動史研究 cf.2016年度書類(201510提出)
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□研究目的
@ 研究の学術的背景(本研究に関連する国内・国外の研究動向及び位置づけ、応募者のこれまでの研究成果を踏まえ着想に至った経緯、これまでの研究成果を発展させる場合にはその内容等)
A 研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか
B 当該分野における本研究の学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義
研究目的(概要)※ 当該研究計画の目的について、簡潔にまとめて記述してください。

 障害・病を有する人達の主張・運動の多くは記録も考察もされていない。資料の散逸が進み、今後しばらく長く活動してきた人の声を聞く最後の機会となる。研究を組織化し、世界的な流れの中に位置づけつつ、その過程を明らかにする。T結核・ハンセン病等の収容施設が批判の対象とされつつ生活のための砦であったことがある中での運動。U社会・政治を加害の原因として糾弾しつつ自らの内にも対立や困難を必然的に抱えてしまった公害・薬害に関わる運動。V医療福祉政策の狭間に置かれる中で自らの位置を得、生活を獲得ようとしてなされてきた「難病」を巡る運動。Wすべてに関わりつつ障害と病の位置の転換を主張して1970年前後に新たに現れた運動、それが起こした波紋。そしてXそれらを経て世界に共通する現況を診断し、これからを展望する。
@背景・経緯
 これから10年も経てば証言がまったく得られなくなるだろう時期から始まり、現在に至る、障害や病に関わるこの国での社会運動についての研究の重要性は認識されてはおり、とくに1970年代以降の身体障害者の運動についての研究は幾らかなされるようになってきた。だがなお広大な未踏の部分が残されており、さらに考察すべき部分を多く残している。そしてその手前で、より広い範囲の人々の利用に資するための資料・情報の収集・整理・発信を行う必要がある。新たなインタビュー調査とその記録、その公表も重要である。ただ満遍なく全てを集めるのはもはや不可能だ。重要と考えられる部分に当たり、その検証から新たに調査すべき場所を見つける。その繰り返しの作業を速く進める必要がある。調査・研究を効果的に遂行できる体制を組み込み、個々の研究を随時まとめながら、個々に独立しているかに思われる事象の連関を確かめて行って、この時代の全体像を描く必要と有効性がある。それがこの計画が実現するなら可能であると考えた。
A明らかにしようとすること
 第一に、必要でこの研究で可能なのは、基本的・具体的な事実を明らかにし、記録・記述し未来に残すことそのものである。種々の障害や病を巡る社会運動やそれを担う組織・人についてのこうした研究はなされるべき1割もなされていない。私たちが約30年間蓄積してきた資料に加え、新たに資料を渉猟し、証言を得、研究成果に繋ぐ。史料・資料を集中させ散逸を防ぎ、文字化されていない記憶を文字にする。現在入手困難な文献の一部については電子書籍等電子媒体での保存、公開を進める。第二に、事態を捉える視点として、身体の状態が、何――苦痛/死/不便/差異/加害、とまず分けられる――をもたらすか、それらが誰――本人/家族等の関係者/医療等の供給者/より広く「社会」…――に対して、いかなる利益/不利益をもたらすのかに着目する。この視点をとることによって複雑な歴史過程と現在とをよく捉えられると考える。詳細は4頁から説明するが、とくに以下の5つの相を取り出し研究する。
 【T】「社会防衛」のために結核、ハンセン病等の療養者の収容がなされたことから、共通の利害が生まれ、集合的な運動が、戦前を引き継ぎ戦後すぐに始まった。その運動の事実の記録はなくはない。ただ、そこに生活する人は、その処遇に不満を持ったから運動を組織したのだが、その施設・制度は生活を支える場・資源でもあった。この部分を捉えた研究、この時期の運動が後にどのような影響をもたらしたかを捉えた研究は僅かである。そして社会防衛は、定義によるが感染からの防衛に限られない。衛られることを願うのはまずは家族だ。その願いは切実で、それが1960年代初頭の重度心身障害児(重心)施設、筋ジストロフィー児の施設・施策に繋がる。またこれらの施設には結核療養所が転用されていくという具体的な場の連続性もある。それは親たちの願いに発し、当時善いこととされたから、施設を求める親たちの組織の側の記録は一定存在するが、例えば精神病院について家族会側の推進の動きのあったことは表には出てこない。多面的・多角的な調査によって、防衛の対象とされた側と防衛を求めた側双方の運動を明らかにする。
 【U】1960年代前半から、加害者として社会を名指し社会に対する動きが前面に現れた。つまり公害、薬害の健康被害が大きく問題化される。これは世界的にも生命倫理学や医療社会学といった学問領域の誕生に関わり、日本社会にも大きな影響を与えた。だが例外的に水俣病について一定の記録が残され研究が組織的になされている以外、またいくつか事件当時の資料集等の刊行物がある以外、ほとんどまとめられ分析されていない。そしてそこから受けとるべきはただ加害に注意深くしていこうといったことではないはずだ。加害の償いと生活の保障とをどう関係させるべきか、そこにほぼ必然的に現れる病・障害の悲惨の表象をどう解するかということもある。
 医療・福祉の大きな政策動向を紹介する文献は相対的には多く、大まかなことは知られている。ただ【V】どこまでをどんな理由で社会的支援の対象にさせ、またしてきたのか。病気でもあり障害でもあるような領域、「難病」「特定疾患」に関する運動・政策の推移から見えてくるものがある。Tの一部、親や子に対する同情から、医療と福祉、児童と成人の境界に、法外の、また複数の法に根拠をもつ制度が現れていく。さらに、Uに関わりスモン病に対する対応として始まり、研究のためとして医療費の負担を免除するという説明で徐々に難病対策が始まり、その後対象を増やしてきた。しかし、そうして拡大しますます複雑になった制度がそのままでよいと思っている人はどこにもいない。そして何を基準にどのような公的支出をなすかは普遍的な主題でもある。
 【W】Uの動きとも連続しつ、1970年前後に新たに現れた運動がある。それは社会を糾弾するが、その糾弾は障害を悲惨とすること自体に向かうのでもある。これには1960年代末からの社会運動と関係している。その時期、本人たちに自らの位置と主張を転換する動きがあり、研究者・専門職者集団の一部にも自らの営為を問い直す動きがあった。日本ではそれには左派内部での対立が絡んでもいた。社会改革を肯定し志向した上での対立を受けてなされる主張(の一方)は、時に「極端」なものともなる。例えば(なおせても)「なおさなくてもよい」と主張する。ゆえにその脆さを突くことは容易だが、同時にそれは――時に欧米の同じ領域の言説より――主張しうることの「限界」まで行こうとしたと見ることもできる。その動きを跡付け、理論的に考察する。
 【X】厳しい対立もあった運動は現在、大きくは障害者権利条約を受けた国内法・制度の整備という方向に収斂しつつある。それは、様々の困難に遭いながらも前進をもたらすだろう。ただその運動はより困難な局面に遭遇してもいる。運動が、Tの時期から抵抗し、Wにおいて自覚的に対象化し批判してきた「社会の都合」が、身も蓋もない資源・経済の問題として現れている。すると医療・福祉に関わる社会運動が旗印にしてきた「自律」を言い続けるだけではうまくいかない。そしてこれは世界的な問題であり、W〜Xが国際的にどのように捉えられてきたかを見る必要もある。国によっても差異がある運動と主張とその背景を比較検討するために、催の共同企画等既に研究協力関係を築いているJo Hanjin(韓)、Cai Cong(中)、Colin Barnes(英)、Fernand Vidal(西)、Karen Nakamura(米)らの協力を今後も得て互いに議論し、成果を多言語で発信する。
B意義
 学問の意義の一つは記録することにある。この研究は今しかできない。本申請の年にもその前の数年も、運動で中心的な役割を果たした人たちが数人ずつ亡くなった。その中の数人に存命中の聞き取りが実現し、現在その書籍化を進めているが、その速度を上げる必要がある。多くの人たちが語ろうとしているが、自らそれを文字にして公けにできる人は少ない。それは公正でない。そして惜しい。つまりもう一つ、この研究は実践的な、人々に有益なものであろうとする。私たちは技術や人を使って生きていくし、それを使える専門家も、金も政府も必要であり、それを引き出しうまく使っていく必要があり、そのために自らが活動・運動しようともする。人々がどのように自らとその身体を了解し、技術を使い、政治に働きかけ、組織や人を使っていくか、そのためにも、そのことを巡って何があったのか、どんな工夫がなされてきたのか、どんな困難があってきたのかを知る必要がある。得られた事実・資料は原則HPに公開し、必要な部分は多言語化し、誰にでも利用してもらう。ここにも本研究の大きな意義がある。
 同時に理論的な貢献も期待される。本研究は、「医療化」「専門家支配」といった言葉に、この国におけるその内実を与えるものであり、同時に、それらの言葉で何がどこまで言えるのかを吟味し、確定する作業でもある。そしてまた、障害者運動・障害学の知見も踏まえつつ、そこにあった「障害者は病人ではない」といった主張をどう捉えるのか、「社会モデル」という標語をどの水準で捉えるのか、これらを確認し考察し社会福祉学そして社会科学に返していく作業でもある。
 そして研究を組織的に進める意義がある。これから本格的に研究を進めようという人達の力も得て、日常的な研究体制を整備・確立し、個別の研究の集積以上の効果を産み出す。研究・成果発信の速度を加速させ、研究成果の塊を作り出す。この体制が恒常的な国際発信を可能にする。

□研究計画・方法
 研究代表者・分担者他は、多年の研究・社会活動から既に多くの組織・人との繋がりを得て研究を進め、成果を出してきた。それに関心を共有し時間と意欲をもって研究を進めている大学院生や修了者等が連繋し、調査研究に当たる。資料室がありスタッフを擁する研究機関(グローバルCOEを引き継ぐ生存学研究センター、以下◆を付した著書はその成果)が日常的な活動を支える。この体制のもと、これまでの蓄積に加え、散逸しつつある資料を収集・整理・公開する。関係者への聞き取り(一部は公開インタビュー)を行い、記録化する(文字、一部については動画)。それらに詳細な註を付した上で書籍化していく。基礎情報を踏まえ考察を進め、研究書を年2冊以上出す。韓国、中国、英国他の研究者と連携し、運動史を比較研究し、成果を国際的に発信する。
◇平成29年度:研究を円滑に進められる体制に向けた調整をしつつ、5つの焦点を持つ調査・研究を進める。故2人を含む人達への聞き取りを基に追加調査した書籍を2冊発行。同時に新たな聞き取り調査を進め、公表資料・アンケート調査から組織の概要と変化を把握し、年表等を作成。機関誌やビラの類も重要なものはPDF画像、より重要なものは文字コード化してウェブ公開する。
 【T】日本での集合的な運動は結核療養所、ハンセン病療養所入所者の運動から始まった。ハンセン病療養所における生活・運動については近年幾つか研究がある。また結核療養者の運動についても「朝日訴訟」を象徴的なものとして運動に積極的に関わった人たちによる文献はある。ただそれがその後の運動にどのように連続し不連続だったかについての研究はほぼなされていない。「防衛」の対象になれば、その対象者には制約が課せられる。施設とそこでの処遇は不満・批判の対象となり、だからそこで運動も生起したのだが、あてがわれた場や人は実際上生活の「よすが」でもあった。するとその処遇に対する抗議の運動もいくらか複雑になる。全国組織の会報の合本版等はあるが、距離をとったその解析はなされていない。その変化と連続性を追う。
 施設化と脱施設化は、現在「地域移行」に誰もが反対しない中で、かえってその実情がわからなくなっているところがある。例えば、重症心身障害児(重心)の施設や筋ジストロフィー児の施設については、その家族の切実な訴えがあり、その「成果」を得るに至るその足取りがある程度記憶され、資料が残り、私達においても研究がいくらかある。だが否定的な価値が付与されている精神病院については、精神疾患・精神障害の家族会が少なくともその初期、病院体制に肯定的であった部分は見えなくなっている。そしてこれらは家族・親を護るために、政治色を出さずに政権党の政治家の同情を得て要求を実現する。結核やハンセン病の場合には自らを護るために施設労働者や革新勢力と連携する。こうした共通性と差異がある。また国立療養所を巡る政策においても変化と連続性がある。つまり結核が減り結核療養病床が減らされていくが、そうした施設が一つに重症心身障害児、筋ジストロフィー児を受け入れていく。またいっときはサリドマイド児(→U)が入所していたこともある。運営に関わった人たちが回顧した文書がいくらかある以外、これらのほぼすべてがまとめられていない。この年、代表者の単著をまず1冊刊行する。
 【U】これらの動きと接し、特に1960年代以降、「社会が作る」病・障害が問題にされる。薬害・公害や労災を巡る責任追及や補償を巡り、被害の有無や軽重を巡って原因を追求し、その因果関係に関わる争いが起こる。だが、例外的に蓄積がある水俣病に関わる研究以外、社会学では『薬害の社会学』(宝月誠編、1986)以後、まとまった研究はない。一つ、責任追及と補償が必要でありそれを得ようとすることが同時に求められ、争いを提起した人達の内部に対立が生じてしまったことが度々あった。因果関係の証明が求められ、そのことを巡り大きな負荷と分断がもたらされた。また一つ、社会に訴える時に病や障害の悲惨を語らざるをえなくなる。実際悲惨な境遇はあったのだが、後にその表象のされ方は後に(→W)自らによる懐疑・批判の対象にもなる。これらを考えるためにも、『日本の血友病者の歴史』(2014)◆の著者北村健太郎他が薬害エイズ、C型肝炎等を巡ってなされた運動について調査し言論を解析する。
 【V】以上二つは一つに社会の側の利害による管理・保護とそれへの抵抗、また一つ、加害者として社会を名指すものだったが、直接の原因・理由がなんであれ、当人たちにとって大切なのは生活であり、治療を含む生活のための費用であり、それが社会に対して常に求められてきた。そして求められた側も何もしなかったのではない。政策側も何かはしようと思うのだが、どこまでなら認めることにするか戸惑いもする。大きくは医療保険等の医療政策、障害者施策全般とそれに関わる運動があり政策があるが、それらについてなら一定の研究の蓄積はある。今回の研究においては、それでは到底足りないと感じられそれで起こったできごと、制度の狭間にあり位置づけにくいものに関わって起こった運動とそれへの対応を追って、境界・限界を巡る攻防を検証する。まず1970年代初頭には、人工透析について、公費負担(1972年に更生医療適用)に至る経緯、「全国腎臓病協議会(全腎協)」(1971〜)の関わりが有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史』(2013)◆で明らかにされた。その他についても、とくに「難病」と呼ばれるようになったものがどのように位置づけられてきたのかを探る。それがT・Uと接続し、偶然的な事情にも左右されて今日に至るその動きを明らかにする。難病対策の始まりには1960年代に設立されていく疾患別の患者会の活動があるが、「難病」「特定疾患」という行政的な範疇の生成を現実化したのは1970年前後の薬害スモンの政治問題化(U)が関わっている。そうした中で政策が始まり拡大していった過程がある。その制度とその内実の推移を調査しまとめる。それは(まだなおらない)疾患をなおすための研究という名のもとで生活を(生活も)援助する制度として現れ、それはその政策の対象になる本人や家族において障害というより(やがてなおるようになる)疾患という認識を強めるものだったが、1990年代に入ると障害者運動が獲得した介助制度等の利用を介し、障害者運動との接近、障害者としての自己規定が一部に現れもする(cf.立岩2004『ALS』◆)。同時に、列挙される疾患だけが対象になるという制度そもそもの限界を有しつつ、対象疾患を拡大する動きは続いてきたが、例えば苦痛を主症状とする「複合性局所疼痛症候群(CRPS)」は、病が忌避されるのは苦痛ゆえであるのに、客観的基準がないとして認定されず(米国・韓国では認められている)、認定を求める運動が続いている(cf. 大野真由子2013「慢性疼痛と「障害」認定をめぐる課題」◆)。それらを追って変動し浮動する歴史・現在の全体を描き、これからの主張・政策のあり様を示す。これ自体はこの国に特異に起こったことだが、それでも数百万の人たちの生活に直接関わる。さらに、どこまでの範囲の疾患・障害、広く人の状態・様態に関わる費用をどのような理由でどこが持つのかは普遍的な問題であり、理論的検討課題となる。
 【W】1970年の前後、別の流れが生まれる。保護として現れる隔離に反対し(T)、社会を問題にしつつも社会による身体への危害(U)というだけでない場面を問題にする流れが生ずる。その運動はまず我彼の間の差異をはっきりさせようとした。自らのためになされていることと他人(達)の都合によってなされていることが、意図的にせよ非意図的にせよ、曖昧にされてしまうことを指摘し、それに反対した。社会が支えることを求めつつ他者達の都合で自分たちの身体と境遇が作用されることを拒んだ。脱施設・反施設を鮮明にした。「優生思想」「能力主義」という言葉を頻用し、この社会で暮らしていけないから得るものを得ようとしながら、社会の全体を批判した。自らを積極的に肯定するわけではないが、否定されていることを強く自覚することから始まり、そしてなおすことに懐疑的だった。「青い芝の会」といった組織の行動については比較的知られるようになったが、他でもこうした主題が現れた。遺伝性の部分を含む筋ジストロフィーについて、1970年代、そのことも社会に知らしめるべきだという主張と、それに慎重な主張が対立し、それは組織の分裂も引き起こした。遺伝子診断を巡る議論もなされる(cf.利光惠子2012『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』◆)。現在は入手困難な出版物や石川左門(1937〜)他への聞き取りからこれらの軌跡を辿る。また「先天性四肢障害児父母の会」(1975〜)は、環境汚染が様々に問題にされていたその活動の初期、環境要因を疑い、原因究明を訴え、その障害をなくすための活動を展開した。だが現に障害があって暮らしている子どもがいる時、障害を否定的に捉えてよいのか。それを考えていくことになる。『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』(2014)◆でこの組織を追った堀智久らの研究をさらに発展させ、反原発運動において再度起こった加害の告発と障害の否定を巡る「論争」も含め、議論を追う。また、直接的な加害・犯罪(の可能性)の主体と名指され治安・医療の対象とされる精神障害者自身の動きが、組織規模としては家族会の全国組織に比してまったく小さなものだったが、「全国「精神病」者集団」(1974〜)等によりこの時期に始まる。それは治安の対象になることに抵抗するとともに、疾病とも障害ともされる自らの状態をどう捉えるか、身体障害者の動きにも連動しつつ、抗精神薬にどう対するかといったより具体的な場で自らのあり方を考え始める。これらについての研究は、さらに知的障害・発達障害の運動史研究は、まったく始まったばかりである。
 そしてこれらの動きには、1960年代末からとくに障害者運動には当時の左翼運動における、共産党やそれに近い組織とそれに対抗する勢力との対立、具体的には障害児教育のあり方等を巡る厳しい対立関係が関わっている。そしてそれは学問・科学のあり方にも関わった。精神医療・臨床心理等の学会・業界に自らの位置を問題化する動きが少なくとも一時期あった。ここで押さえておくべきは「造反」を批判した側も「改革派」だったことだ。「造反派」から「極端」な主張がなされ、発見しなおすことへの懐疑が示されたのにもこのことが関わっている。双方の言論と実践を検証する。この時期以降については、立岩他『生の技法』(第3版・2012)◆、各地の動きについても、定藤邦子2011『関西障害者運動の現代史』◆、障害学研究会中部部会編2015『愛知の障害者運動――実践者たちが語る』◆、神奈川青い芝の会の横田弘(1933〜2013)への聞き取り等からなる『われらは愛と正義を否定する』(2016)◆等があるが、この年、全国「精神病」者集団の大野萌子(1936〜2013)・山本眞理(1953〜)らへの聞き取り記録を整理し、書籍を公刊する。
 こうした「新しい社会運動」は世界中で起こった。ただ少なくとも始まりとしばらくの推移は同じではない。例えば脊髄損傷の車椅子使用者(英国)やさほど障害の重くないポリオの人たち(韓国)等、移動の手段を得られれば十分やっていけるといった人たちが中心となって始まった運動においては「本来はできる」という主張がより強いのに対して、重度の脳性麻痺者他から始まった日本の運動は、より解消も軽減も困難な部分があることを言い続ける。ただ世界のどこでも、支援があれば人は社会的に生産的になりうるという主張が通じない場面はあり、結局運動は同じ困難を見ることにもなる。つまり単純な「社会モデル」を適用すればそれですむというわけではない。それは次のXの問題にも関わっている。そのためにも各国の運動史を、各々の研究者の協力を得ながら進め、まずこの年は日本の運動の特質について英語の論文を刊行する。
 【X】いま日本ではいっときの騒乱・対立は収束に向かっているようでもある。つまり、地域生活と自己決定という看板は、誰もが反対しないものになっている。とくに1980年代以降、Wの時期の運動体を引き継ぎつつより広範な範囲が加わる組織が活動している。そして大きくは障害者権利条約の批准、その実施状況の国連への報告(民間組織も報告できる)を利用して、それによる法整備等を進めようという流れになっている(cf.長瀬修他編2012『増補改訂 障害者の権利条約と日本』◆、長瀬監訳2013『世界障害報告書』◆)。だがまずなお理論的に追究されるべき論点は残っている。なおすことを巡って病者と障害者の間にあってきた差異をどのように理解するのか。(障害は)なおらないという現実が所与である限り、これは現実的な問題にはならないが、その前提は不動ではない。また差別禁止は当然に必要だとして、それは「障害」による差別に対する対応とされ、そこから除外される能力の差異に関わる不利益は捨象されてしまうことにもなる。認定は免責をもたらすが(「病人役割」)、同時に排除の理由にされるという現実の基本は変わらない(立岩2014『自閉症連続体の時代』◆)。そしてなにより、高齢化、認知症者の増加が言われ、悪意と偏見によってではなく、資源の有限性をもって、社会が護られるべきこと、広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちが不安と諦めとを感じている。かつて優生思想といった言葉によって捉えられ批判の対象となった力が、これから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動そして学知はどう対することができるか。分析と考察の精度を上げる必要がある。流動的な現在を把握し、将来を展望するためにも、これまでの経緯をまとめる。
◇平成30年度以降:2018年には、Uの主題について、個々についての資料の散逸を防ぎ、文献・資料の一覧を作り、係争の経緯の概要を公開する。その際、「薬害被害者団体連絡協議会」(1999〜)等の協力を得、また同時にその活動に貢献する。Wに関わり、立岩『造反有理――精神医療現代史』(2013)◆『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(2015)◆と2017年刊行の1冊に続き、精神障害者たちの運動史についてインタビュー調査の結果を中心とした書籍をさらに1冊刊行する。また楠敏雄(1944〜2014)に関わる記録等を用い、1970年前後の社会運動と障害者運動との関わり(V)についての著作と、この研究企画の「総論」に当たる新書と、分担研究者他による共著書を刊行する。2009年に始まった中国・韓国・日本他の共同研究フォーラムは毎年開催し、2019年には特にW・Xに関わり、英国他の研究者にも加わってもらい、各国の運動の共通性と差異を明らかにする。他に共著書等、期間中少なくとも計6冊の書籍を刊行する。海外の研究者と情報・意見交換しつつ、一部は年3回発行の英語を主言語とする雑誌に掲載する。

□今回の研究計画を実施するに当たっての準備状況及び研究成果を社会・国民に発信する方法

@本研究に継承された主題を一部に含むグローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点(2007〜2011年度)の活動実績があり、同時に発足しそれを引き継ぐ恒常的組織に立命館大学生存学研究センターがある。大学の予算で専任の教員、研究員、事務局員を雇用し、書籍・雑誌機関誌等3万点余を整理して収蔵する書庫、研究会等に利用できる部屋、事務室を確保している。
A研究分担者他の共同研究者の多くが@に記した機関・企画に関わってきた。教員・研究者でありつつ大学院生として拠点・研究科の教員とともに自らの研究を進めてきた人達、日本学術振興会特別研究員等を経て拠点の研究員等を務めている人達もいる。他の分担研究者も学会(障害学会、社会福祉学会、福祉社会学会等)、科研費研究、雑誌・書籍の編集・共著・分担執筆等で長く研究活動をともにしてきており、十全な連繋の体制がある。
B年間ヒット数1200万のウェブサイトhttp://www.arsvi.comに、本応募書類(→「病者障害者運動史」で検索→関連事項・人・組織・文献等約300の頁にリンク)を含め、資料・情報・成果を掲載していく。研究成果等、有用な情報は英語・コリア語等にも訳されており、その言語圏の人々に資料・成果が提供される。既に開始している日本語・英語・コリア語のメールマガジンでも情報を発信する。上記センターの英語・日本語の雑誌『Ars Vivendi Journal』『生存学研究』でも特集を組むなどし、分担研究者や大学院生・学振PD他の投稿論文を査読し掲載する。


UP:20161212 REV:20170130, 0403
7.26障害者殺傷事件  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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