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星加良司『障害とは何か』の1――連載・140
立岩 真也
2017/12/01
『現代思想』44-(2017-12)
:-
139
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141
『現代思想』連載(2005〜)
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※以下の本の一部になりました。
◆立岩 真也 2018
『不如意の身体――病障害とある社会』
,青土社
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
■
◆
星加良司
◆この回(〜『障害とは何か』の4)全文を
『社会モデル ver1.3』
に収録しました。ダウンロードしてすぐに読めます。
■フェイスブックでの紹介
◇2017/11/29
「星加良司『障害とは何か』の1の01――「身体の現代」計画補足・443」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1982310555369255
◇2017/11/30
「星加良司『障害とは何か』の1の02――「身体の現代」計画補足・444」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1982649888668655
◇2017/12/01
「星加良司『障害とは何か』の1の03――「身体の現代」計画補足・445」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1983949311872046
◇2017/12/02
「インペアメントの棄却?1:星加良司『障害とは何か』の1の04……――「身体の現代」計画補足・446」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1983951858538458
◇2017/12/07
「インペアメントの棄却?2:星加良司『障害とは何か』の1の05――「身体の現代」計画補足・447」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1984405225159788
◇2017/12/08
「インペアメントの棄却?3:星加良司『障害とは何か』の1の06――「身体の現代」計画補足・448」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1984406421826335
◇2017/12/09
「星加良司『障害とは何か』の1の07――「身体の現代」計画補足・449」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1984408625159448
◇2017/12/09
「原因論1・星加良司『障害とは何か』の1の08――「身体の現代」計画補足・450」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1985169558416688
◇2017/12/22
「星加良司『障害とは何か』の1の10――「身体の現代」計画補足・454」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1990321081234869
◇2017/12/31
「星加良司『障害とは何か』の1の11――「身体の現代」計画補足・455」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/1990323987901245
■目次
■検討に際して
「社会と総称されるものの部分部分(市場、家族、政治、…)の境界について考えることをしたいと思っているので、長く留まるつもりはないのだが、身体の方から社会を見ていくことも必要だと思ってはいる。その際の見立てについて、道具立てについて書いている。その歴史篇が一段落もしないまま理論篇ということになっている。
議論は多くはない。少ないなかで、星加良司と榊原賢二郎の著書がある。それらを検討すると予告して――とくに星加についてはそのことを言ったのは二〇一〇年だった★01――そのままになっている。理屈を言おうという営みは、多く徒労に終わるのであるが、あってよいとは思う。議論がないことを本人たちも不満に思っている★02。いささか回り路ということにもなるのだが、両者についてこれから計四回ほどを費やす。まず星加の『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』(星加[2007]、以下頁数のみ表示)を検討する。
その積極的な主張に対する私の評価の要点だけを述べれば簡単である。星加は「不利益の集中」によって「ディスアビリティ」を規定しようとする。一つ、それは無理である。一つ、[…]」
■批判篇の行論
「その本の構成は、もっと整理して簡単なものにできたのではないかと思うのだが、かなり複雑なものになっている。
まず、T、理論がどのようなものであるべきかその条件が四つあげられる。次にU、現在の理論が三つあげられ、採用できないとされる。次にV、「「社会モデル」的ディスアビリティ理解が基本的に共有している前提」が四つあげられる。次にW、検討すべき主題が三つあげられる。
これらは、U現在の理論が、それが採用してしまっている前提Vとも関連して、Tの要求を満たしておらず、W大切な問題にうまい解を与えられないことを示す、という順序にはなっている。その限りで話は流れている。ただ、一つひとつを見ていった時には、さらに種々の論点が入り込んでいたり、繰り返しがあったりする。
おおまかにはここまでが批判篇ということになる。当初、私も一つひとつを検討していったが、それを追うのは読者にとっては面倒だと思う。それは立岩編[2016-]に移す。なによりもとの本を読んでもらうのがよい★04。T〜Wの項目だけ示す。」
■インペアメントの棄却
「ディスアビリティとはインペアメントのある人の問題だ」という把握についての星加の議論を見る。Xの(2)で星加はインペアメントをもってきて、(星加によれば不利益としての)ディスアビリティを規定することを――何をもって「規定」と呼ぶのかが問題なのだが――棄却する。(以下、あげられている文献、書誌情報はここでは略し、HPにあげておく。)
[…]」
■しかし分け隔てるものがある、ようだが
「インペアメントの存在を〔ディスアビリティの〕要件とすること自体は可能だが、それが不利益を生む他の可能的要件を措定した場合とどのように異なるのかについては何も言えていない」と書かれている。「インペアメントの存在を要件とすること自体は可能」だと言う。「要件」という語の意味如何でもあるが、可能であるとされている。それが「不利益を生む他の可能的要件を措定した場合」と「どのように異なるのか」と進む。
まず(不利益のあり方が)「異なる」ことが前提にされているのだが、なぜそのように言えるのか。そして異なるところがあるとして、それを言わなければならないのか、それはなぜか。
星加は、「「体が人並みはずれて大きい人」にとっての不利益や「田舎で生まれた人」にとっての不利益ではなく、「インペアメントのある人」にとっての不利益だけがなぜディスアビリティとして把握され、その解消が特に要請されるのかが[…]不明なのである」と言う([108])。まずここだけを読むと、インペアメントとディスアビリティは接続されており、インペアメント以外の何か(例えば高身長や田舎出であること)と(ディスアビリティ以外の、例えば高身長や田舎出であることに関わる)不利益とは異なるという話になっている。とすると、まず、既にインペアメントとそうでないものは分けることができるものとしてあるはずであり、そして分かれて二種類になる不利益のあり方が異なっていることが予めわかっているということになる。そのように言えるものなのか。
例に即して見ていく。[…]」
■原因論
「もう一つ批判される「原因論」について。星加はこれを二箇所で紹介し問題にしている。二度、二つに分けて議論がなされる必要があったかどうかはわからない。
まず今どきの理論を紹介するUであげられる。(1)「原因帰属」、(2)「解消可能性による解釈」★06、(3)「帰責性による解釈」と並べる中の(1)である。ここではオリヴァーらの障害学の議論がディスアビリティに関わる原因論において社会を主張したことが――(2)(3)は紹介された上で批判されるのだが――まずは紹介だけされる。
もう一つは、さきにXの(1)(2)とした(1)。従来の理論が「障害者の経験する不利益を特有なものとして同定する」ことができないことを示した上で、不利益を特定しようという流れの議論のうちにあって、(1)「社会原因論の錯誤」を言った上で、(2)「インペアメント」をもってくる議論もうまくいかないという筋のなかにある。(2)は前節で検討した。以下こちらの(1)を見る。」
■帰責性による解釈の処理
「とすると、社会が原因で「できないこと」が生じているという言い方に代えて、あるいはその言い方の意図・意味として、その「できないこと」の解消について社会に責任があると言えばよいではないか。この本では、Uの既存の社会モデルの議論が、(1)「原因帰属をめぐる認識論的転換」、(2)「解消可能性による解釈」、(3)「帰責性による解釈」という順序で検討される。
私の論もその(3)に含まれる。星加に引用されているように以下のように私は言っている。「社会モデルの主張が意味のある主張であるのは、それがその人が被っている不便や不利益の「原因」をその人にでなく社会に求めたから、ではない。[…]核心的な問題、大きな分岐点は、どこかまで行けるという状態がどのように達成されるべきかにある。二つのモデルの有意味な違いは、誰が義務を負うのか、負担するのかという点にある」(立岩[2002:69-71])。
星加はそれに問題が二つあるという。[…]」
「だから、ここまでのところでは、星加が検討し批判し棄却したものは捨てたものではないということになる。では、代わりに何を星加は示すか。次回それを検討する。」
■註
★01 「「社会モデル」・2――連載・59」(二〇一〇年十月号)中の「やはり問題は規範的な問題なのである」に付した註。
「星加[2007]がこのことを正当に指摘している。星加は、私と同様に、問題は事実の水準の問題ではないこと、原因という事実の水準の問題でないこと、この部分に錯誤があると指摘する。基本的に私が星加と同じ立場を取ることは本文に述べた。ただ、英語で「のせいで(due to)」という言葉が使われる場合、それはただある事象が生起する(あるいは生起しない)原因・要因を指すだけではないだろう。なすべきことがなされない(あるいはなされるべきでないことがなされる)「せいで」しかじかが起こってしまう(あるいは起こらない)といった使われ方もされる。例えば本連載前々回の最後に引いたマイケル・オリヴァーが示す例もそのように解することはできる。ただその上で、どこに問題の核心があるのかについて曖昧さの残る記述・主張がなされてきたことは問題にされてよいと(私も)考える。/それとともに、星加は立岩[2002]における社会モデルの把握について批判をしている。本文に述べることはそれに対する応答でもある。星加の論の紹介とその検討は別途行なう。」
★02 『障害学のリハビリテーション』(川越・川島・星加編[2013])の序章は川島聡と星加による。学術的な論争があってしかるべきであると述べた後、次のように続けられる。
「ところが、少なくとも日本に限って言えば、障害学の内部における論争と相互批判の類は乏しい。誤解をおそれずに言えば、微温的な仲間内の集まりで、行儀よく住み分けをして、相互不干渉を決め込んでいるようですらある」(川島・星加[2013:6])。
私が今になってこんなことを書いているのは、基本的には私における優先順位によるのだが、そのことに関わらなくもない単純な無知もある。私は右記した本のことを今年になるまで知らなかった。
★03 終刊になった『そよ風のように街に出よう』での連載の第三回に以下のように記した。「この社会で自分たちは最もわりを食っている、その限りでは、この社会は敵であるのだが、しかし、同時にそこにいる人に手伝わせたりしなければならない。強い批判を向けながら、しかし、そことやっていかなけれはならない。どうやってやっていくのか。すくなくとも「社会科学」をやっている人にとっては、これはおもしろい。そこから受け取れるものがあるはずだと思う」(立岩[2007-2017(3)]、この回は二〇〇九年)。
★04 他にも何種類かの既存の議論の批判は何箇所かにある。紙数的に許されれば別の回に紹介する。
★05 ここで個人への「帰責」と言うべきかどうかは問題である。むしろしかじかは障害であるという規定は、「免責」の行ないでもある(cf.立岩[2014])。「帰属」と「帰責」は分けて考えた方がよい。帰属は因果に関わり、帰責は責任に関わる。
★06 ここでは石川准の「社会が負担を負えば解決するような障害のことをディスアビリティと呼ぶことにしたのだから、社会が負担を負っても解決しない障害はディスアビリティではない」(石川[2002:27])という記述があげられる。解消が望まれているが、(いまは)不可能なものを入れないというのは、言葉を使う使い方として、具合がよくはない。ただ、この呼び名の問題は別として、現実には、困難ではあっても可能なものしか相手にしても仕方がないということはある。社会的に解消・軽減可能なものをディスアビリティとし、それを問題にしてゆくというのは、自然な道行きでもある。
★07 規範的なこと、ことのよしあしを直截に言うことがためられわるような土壌で、事実の記述をもって規範的な方向を醸し出させることがあって、それはよくないと述べたことがある(立岩[2004])。
■文献→
本の文献表
※この回の原稿に付した文献表には◆。
◇Barnes, Colin 1991 "Disabled People in Britain and Discrimination," London: Hurst and Co., in Association with the British Council of Organisations of Disabled People.〈星加108〉
◇―――― 1996 "The Model of Disability: Myths and Misconceptions," Coalition, August: 27-33.〈星加65, 94, 108〉
◇Barnes, Collin, Geof Mercer and Tom Shakespeare, 1999, Exploring Disability: A Sociological Introduction, Cambridge: Polity Press.(=2004,杉野昭博・松波めぐみ・山下幸子訳『ディスアビリティ・スタディーズ──イギリス障害学概論』明石書店)〈23, 108, 142〉
◆Brechin, Ann ; Liddiard, Penny ; Swain, John eds. 1981
Handicap in a Social World
, Hodder and Stoughton〈星加140〉
◇Finkelstein, Victor, 1980, Attitudes and Disabled People: Issues for Discussion, New York: International Exchange of Information in Rehabilitation.
◆―――― 1981 "To Deny or Not to Deny Disability", Brechin, Liddiard & Swain eds.[1981:34-36]
◇
星加良司
2002 「「障害」の意味付けと障害者のアイデンティティ――「障害」の否定/肯定をめぐって」,『ソシオロゴス』26: 105-20
◇―――― 2003 「『障害の社会モデル』再考――ディスアビリティの解消という戦略の規範性について」,『ソシオロゴス』27: 54-69
◆―――― 20070225
『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』
,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690040 ISBN-13: 978-4903690049 3000+
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/
[kinokuniya]
※ ds [138]
◇―――― 20130830 「社会モデルの分岐点――実践性は諸刃の剣?」,
川越・川島・星加編[2013
:20-40]
◇飯野由里子・川越敏司・
川島聡
・
杉野昭博
・
中根成寿
・
星加良司
2013 「ディスカッション――「社会」に開かれた障害学の可能性」,
川越・川島・星加編[2013
:131-179]
◇石川准 20021031 「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」,
石川・倉本編[2002
:17-46]
◆
石川准
・
倉本智明
編 2002
『障害学の主張』
、明石書店
◆川越 敏司・
川島 聡
・
星加 良司
編 20130830
『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』
,生活書院,192p. ISBN-10: 4865000135 ISBN-13: 978-4865000139 2000+tax
[amazon]
※ [138]
◆
川島 聡
・
星加 良司
20130830 「障害学の「リハビリテーション」という企て」,
川越・川島・星加編[2013
:3-13]
◇
Oliver, Michael
1996
Understanding Disability : From Theory to Practice
, Macmillan.
◇榊原賢二郎 20161110
『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』
,生活書院,398p. [138]
◇Stone, Deborah A. 1984
The Disabled State
, Temple University Press
◆立岩真也 1997
『私的所有論』
、勁草書房16:42:18 [138][139]
◆―――― 20021025
「ないにこしたことはない、か・1」
、
石川・倉本編[2002
:47-87]
◆―――― 20041231
「社会的――言葉の誤用について」
,『社会学評論』55-3(219):331-347→
立岩[2006
:236-281]
◆―――― 20060710
『希望について』
、青土社 [140]
◆―――― 2007-2017
「もらったものについて・1〜17」
、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67 [140]
◇―――― 20110520
「障害論」
,戸田山・出口編[2011:220-231]* [138]
◆―――― 20130520
『私的所有論 第2版』
,生活書院・文庫版 [139]
◆―――― 20140826
『自閉症連続体の時代』
,みすず書房,352p. [138][139]
◇―――― 20170731
「障害は近代を保つ部品である、しかし」
、東アジア障害学セミナー・報告要旨
◆立岩 真也 編 201610-
『社会モデル』
、
Kyoto Books
◇―――― 201105 「障害論」、戸田山・出口編[2011:220-231]
UP:20171105 REV:20171106, 29
◇
星加良司
◇
社会モデル
◇
障害学
◇
病者障害者運動史研究
◇
立岩 真也
◇
Shin'ya Tateiwa
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◇