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考究と協力の方向を展望する

立岩 真也 2017/10/26

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■■T

■日本の学会のこと
 日本の障害学会は2003年に発足した。それから2010年夏までのことは、「障害者運動/学於日本・5――障害学/障害学会」に記した。英語版コリア語版がある。近く中国語訳も用意する。
 私は、何期か理事を務め、2007年・2009年、立命館大学での大会の大会長を務めた。その後多忙などにより関わりがなかったが、このたび会長を務めることになった。昨日(2017年9月16日)理事会があって、それに出席して初めて現在の会員が500名ほどであることも知った。現在の状況はこれから把握し、今後のことについてはこれから考えていこうと思う。以下、すこし考えていることを述べる。
 こうした学会も「普通の学会」になっていく可能性がある。そこにそんなに複雑なメカニズムが働いているわけではない。学会と名がつき、学会誌があるとなれは、学会報告の数を増やし、論文を通すために学会に入り、学会を使おうと人は出てくる。こうして、社会福祉学の学会報告でもよいような報告が含まれることになる。私たちの学会は情報保障をきちんとしようとしているから口頭報告の数は限らざるをえない。この理由で制限することはあるとしても、私自身は、あまりひどい報告でなければ、幅広く報告を受けていれてよいと思っている。その報告は批判されるかもしれない。批判された人は、そのような批判がありうることを初めて知るかもしれない。そうしたことに意義があるとも思うからだ。
 とはいえ、どこにたんに集団的な学的な営みの意義を、またおもしろさの「核」を見いだしていくかということはあると思う。
 一つ考えられることとして、対社会的な提起・発言の機会を増やしていくということがある。学会はこれまでに二度理事会声明をだしており、最近のものは、昨年の神奈川県相模原市での障害者殺傷事件を受けてのものだった(2016年11月5日、現在のところ翻訳はなし)。社会的・政治的発言を行なうことについて当然別の意見もあるだろうし、どんな場合にどのような文面のものにするかについても必ず異論はあるだろう。ただ、そうした議論自体にときに意味のあることがあるだろう。小さな学会が、その存在を人々に知らせることにもなりうる。その国々の政治的状況によっては不可能であること、不利益を被ることもありうるし、そんな場合には仕方がない。ただ、可能な場合には社会的発言を行なうことは、学問や学会の社会的使命であり責任でもある。

■国際交流
 その学会の理事会でも、アジア諸国との交流は懸案になっていることが報告された。ただ、このかん具体的な行動はとれなかったとのことだった。気持ちがないわけではない。ただ小さな学会である。結局そうした活動のための人的・経済的資源が少ないから、ということに尽きるのたと思う。最初から使用言語を英語に統一するなら費用はいくらか少なくなるだろう。しかし、この我々のセミナーにしても、それは(今のところ)選択していない。職業的研究者である私が英語ができないのは責められるべきことであるだろうが、このセミナーは、各国各地でその国・土地の言葉で考え活動してきた人たちに開かれたものであろうとしてきた。そんなことも考慮にいれながら交流していくのにはたしかに困難はある。どうしたものか。
 私は、大学に障害学の学科・大学院といったものができる現実的な可能性はほぼないと思っているし、とくに必要だとも考えていない。ただ、では今の規模の学会がそうした活動に従事するのが簡単でないことも今述べた。とすると、これまで私たちが、日本側としては生存学研究センターを拠点に行なってきた活動がいくらかの役割を果たせるかもしれない。(2010年までの韓国との交流については「障害者運動/学於日本・7――韓国の人たちと」英語版コリア語版あり。)そこに、具体的にどういう形で加わってもらうかは今後の課題として、学会、学会のメンバーもこの企画に関わっていくというやり方も考えられるだろう。そのことも昨日の理事会で話し、了承してもらった。また台湾で学会が発足することになっていることもその場で話した。
 そうして形は作られるあるいは保たれるとして、実際に何ができるだろうか。もちろんこの中味の方が大切だ。ときに私も考えることがある。結論めいたものは出ない。結局、その時その時で頭をしぼって、考えるしかないのかなと思う。
 例えば、2015年、北京でのセミナーのテーマとして取り上げてもらったのは「社会サービス」だった。そして私が話させてもらったのは、"PA (Personal Assistance): Acquiring Public Expense and Seeking Self Management"[English])という題のものだった。それは、どこからとりかかるのが有効かに関わっている。介助といった社会サービスは、とくに高齢化が進む社会において、体制・主義の如何にかかわらず必要とされる。それだけが必要なわけではむろんないが、しかしたいへん必要なもののの一つであり、そしてどんな政治体制のもとでも制度を獲得できる可能性のあるものだ。そして日本でも韓国でも障害者のNPOはこの事業を担うことで財政的・社会的な基盤を得てもきた。その国が置かれている状況でこのテーマは有効であると思えた。
 そして、2016年、日本でのセミナーのテーマは「法的能力(障害者権利条約第12条)と成年後見制度」だった。この時の私の収穫は、成年後見制度の導入に際して、韓国では障害者の側からの批判があったことが報告されたことだった。他方、それより前に日本で導入された時には、日本では目立った反対はなかった。そして2016年にこの制度の利用を促進させようという法律ができた時には、日本でもこの制度に対する批判がなされた。これらをどのように理解することができるか。これは興味深いことであると思われ、そのことを閉会の辞でも述べた。
 こうして、いつもうまくいくことは保証されてはいないのだが、一所懸命に考えれば交流が効果を産むことがあると思う。そして必要なのは、ずいぶん準備に手間をかけてなされるセミナーの後、その成果を記録し発展させることだと思う。このように考えて私は、昨年のセミナーの成果をまだうまく継承できていないことを思い出すことになった。具体的には、韓国で成年後見制度に対する批判はどんなものだったのかを詳細に知りたいとその時に思ったのだが、それが果たされていないのだった。大切なことはその場限りにしない。そうすれば交流は意義あるものになるだろうと思う。

■■U

■「もと」から考えなおしてみてもよい
 もう一つはTで述べたことの「もと」になるの部分であり、これから研究を進めていくには大切だと私が考えることだ。「障害学」の名を掲げている組織に関わることになりながらも、私は、例えば英国流の障害学、その「社会モデル」をそのまま引き継ぐ必要はないと考えている。常に、学はその基本的な枠組みから更新される可能性を有するものであり、私たちは、「次」に何を加えていくかと考えるとともに、「もと」を考えなおし、作りなおことができる。そして私個人について言えば、私は社会学者であると自認してはいるが、障害学の研究をしているとは思っていない。私たちの研究センターは「生存学」という名称のものになっている。ただ私はこの名称にも思いいれはない。運営資金獲得のために仕方なくこういう名前を作り出し、使わざるをえないのではあるが、「学」の数を増やすのは迷惑なことであるとも思っている。ただ実質的にこのセンターが行なっていることは、以下に私が述べようとすることに関わっている。
 そのことに関係することは昨も日いくらか話したが、ここで説明する。二つある。
 一つは、「できない」こととしての障害だけを捉えるのでなく、より広い範囲を捉えつつ、その中にある要素や要素の関係を見ていくほうが、過去のそして現在の現実を見ていくうえでも、これからの人・社会のあり方を考えるうえでもよいということだ。これは、私たちのセンター、そして大学院の研究科の活動から得た認識でもある。
 一つは、「できない」ことのなかから「障害」が取り出される機制を捉え、そのことをどのように見るか考えるべきであるということだ。これは、昨日私が述べたことでもある。私自身の関心がそこにあるということでもあり、社会を捉えるとしたらそのように見るべきだと考えているということである。

■1 少なくとも5つ
 これまでの障害をめぐる議論にはすこし都合のわるいところがある。障害学は、「個人モデル」や「医療モデル」を批判しつつ、インペアメントとディスアビリティという対は基本的に維持し、一方では、前者の契機を小さくしながらも必要な要素としていることがそれでよいのかと問われるとともに、他方では、インペアメントの契機を無視あるいは軽視しているとも言われる。どうもすわりがよくないことは感じられているようだ。このことをどう考えるか。
 私が述べてきたことは、「障害とは何か」という問い方をするのではなく、身体に関わる(関わるとされる)いくつかの契機を取り出してみることだった。そして、できないこと、異なること、苦しいこと、死に至ること、加害的であること、以上5つの契機があるとした。これは身体に関わることのすべてではない。なかでは否定的とされる契機ということになる。ただ全体を網羅することをここで意図していないから、これらでまずはよい。そのうち障害はおおむね前の二つ、病は次の二つ、あるいはそれを惹起させるものである。そして最後の加害(の可能性)も歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた。そして、これらは全体を五つに割ったといったものではない。例えば、動かなくて同時に痛いこともあり、痛くて動けないといったこともある。
 この、かくも素朴な列挙にいくらかの意味がある。一つ、社会に起こってきたことを見ていけば、そこには複数の契機がある。さきにこの時代にあって重要とされてきたと述べた、できる/できないだけではない。そして、そのあるものは、あるときには「病」と呼ばれ、あるときには「障害」と呼ばれた。その仕分けは、多くの場合さして整合性のないものだった。それに引きずられて混乱するよりも、言葉の幅が変化したり、別の言葉との境界が曖昧であるといったことがいつも珍しいことではないことをわかった上で、使われ方を整理し、必要であれば自らの使い方を提示するという構えで当たるのがよい。だが意外に、構築主義の流行以後においても、障害を他から分けて取り出そうという学的営みが絶えていないのは不思議だ。
 この国の戦後においても以上五つがそのときどきに取り出された。まず、それ以前から、加害性(の可能性)ゆえに囲われた人たちがいた。ハンセン病の人たちが収容された。結核療養者の収容も隔離策の一環としてあった。そして精神障害者も危険だとして収容された。そしてそれが…、と続いていく。一九七〇年頃になると「難病」といった言葉が政策用語として現われ、それが日常用語の用法にも影響する…等々。これらのうちのしかじかは障害であるとかないとか決めようとする行ないにいかなる意味があるのか。行政的にはあること、あるとされることもある。むしろ、ある時には「難病」という名称を与え、ある時には、そしてときに同時に、障害者福祉政策によって対応しようとしたことにどんな事情があるのかと問う方が、「障害とは何かについて」の別の決め方を示すよりもよいことであると考える。
 次に、なおす/なおさないことを巡る多様さ、混乱も、このことに関係している。何をなぜなおしてほしいのか/ほしくないのか。病人でなく障害者であると名乗る人たちのなかにはなおされる必要がないと主張した人たちがいた。まずはそれは簡単なことで、痛みは軽くしてほしいし死ぬのはいやだが、自分はそんな境遇にはいないというのだった。そして、ときに痛いだけでそうよいこともない(こともある)「できるようになること」は願わないといったこともあった。こうしたことを、この単純な併列から発して整理し配置してみようといというのである。
 次に、なおす/なおさないことを巡る多様さ、混乱も、このことに関係している。何をなぜなおしてほしいのか/ほしくないのか。病人でなく障害者であると名乗る人たちのなかにはなおされる必要がないと主張した人たちがいた。まずはそれは簡単なことで、痛みは軽くしてほしいし死ぬのはいやだが、自分はそんな境遇にはいないというのだった。他方、ときに痛いだけで効果が見込めない「できるようになること」は願わないといったこともあった。これらをこの単純な列挙から出発し整理してみようといというのである。
 そして「インペアメント」について。例えば英国の障害学の発祥の頃に多かった脊髄損傷などの中途障害などでは、そのインペアメント=損傷は可視的でわかりやすい。その人たちは自分たちのインペアメントを身体の水準においてなおそうとするより――そもそもなおらない――社会を変えた方がよいと主張したのだが、この時そのインペアメントの存在自体は明らかなものだった。それは身体的・物理的なものとして、あるいはその不在としてあった。しかしそんな場合ばかりでもない。所謂「内部障害」の場合には、外からは見えない。身体的なものといっても、多く多層的であり、身体の表面に現われているものもあるし、その形状や機能に因果的に作用するとされる遺伝子の水準での異なりもある。そして、(今のところ)とくだんのものは発見されていないが、きっと脳のなかになにかあるとされる「発達障害」といったものもある。ちなみに「発達障害」という範疇は欧米には存在しないという――アジア諸国ではどうなのだろうか? そうしたものが存在するか否か、ときにはその問いに答える必要があることがあるとしても、まずはその問いがなぜ発せられるのかを考え、そしてその問いに答えようとすることがどんなことであるのか、必要であるかどうかを考えることではないか。
 そしてインペアメントの「軽視」が言われるときに何が言われているのか。苦痛は、普通あるとかないとか問うても仕方なく、存在するだろう。そしてその痛み自体は、普通、「社会的」な仕組み・所作によって解消されることはないだろう。しかしそのことは、できないことのかなりの部分が解消・軽減可能であることとまったく両立するだろう。そしてまた、身体の作動や様子の異なりについて。これらもまた、それ自体は、なくしたりするこのはできないか容易でないだろう。ただそれ自体は、他人(たち)や自分によって感じられるものである。こうしてあげていけば、それらをインペアメントといった言葉で括ることはできないし、その必要もない。人・身体の水準において捉えられるできごとがあり、その帰属先がときにその身体の内部や表面に見いだされることがある。まずはそのように理解することで足りるはずである。そして、その帰属やさらに帰責が、いかなる事情のもとで、どのようになされるのかを観察する、それでよいはずである。
 ひとまず五つはあると述べたものの交錯や重なりを見ることができる。例えばそのどれを身に纏(まと)っているかによって、なおる・なおすことに対する態度が異なることがある。一方になおりたい人たちがいる。他方にそれをよしとしない人がいる。両方を同時に思っている人たちもいる)。どうなっているのか、それを考えることが重要だと思う。
 偶然始まって続いている「生存学」という企画は、その実質において、そんなものにもなっている。つまり、病と呼ばれそして/あるいは障害と呼ばれるものの両方を自らが経験していたり、そういう人たちに関係している人たちが、意図してわけでもなく予期もしていなかったが、私が勤務する先端総合学術研究科という名称の大学院にやってきて、そこに集まってきた人たちがそのように多様であったことによって、研究の方向が形成されていった。

■2 非−能力>障害
 さらに、いまあげた5つのうちの一つの「できないこと」の一部に「障害」が位置づいていると見ることができる。そしてこのように「障害」を限定して取り出すこと自体が、近代社会が、近代社会であることを続ける一つの戦術であったとも言えることを昨日の報告で述べた。「できないこと」全般から「障害」を切り離し、そしてその切り離した「障害」をいくらかは特別扱いする。つまり、はっきりとその人のせいでない部分、所与のものとして身体に刻まれているものについては救済の対象とし、そこに入らない「できないこと(非−能力)」についてはそのままにして、差別してもよいことにして、能力主義〜近代社会を維持してきたとも捉えられる。それは国によっても異なる。例えば複合性局所疼痛症候群(CRPS、Complex Regional Pain Syndrome)といった身体の痛みがもたらす生活上の不便・不具合を障害と捉えるか。私たちがこのセミナーで知ったのは、日本ではそれを障害として認定していないが、韓国では認定するようになったということである。これをどのように解釈し、そしてどのように評価するか――結論だけを言えば韓国の政策の方が妥当であると考える。そうしたことを考え、社会に発言していく必要がある。そのためには、障害とはなんであるかを、こちら側(学問の側、運動の側)で規定しようとするよりも、何がどのような理由・利害のもとに障害とされる/されないかを見ていくこと、見ていくための枠組みを持つことが必要でありまた有用であると考える。
 そして今まさに述べたように、その規定や対応のあり方は、各国において様々に異なり、同時に重なる部分もある。私たちは2017年4月からの3年間、「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」という研究について文部科学省の研究費を得ることができ、その活動を開始している。以下はその申請書類の一部。以下名前をあげさせていただいている各人からの許可を得てはいない。まことに失礼なことである。だが、少なくとも幾人からは協力を得られるものと思う。(Fernand Vidal氏、Karen Nakamura氏には、2017〜2018年に私たちの研究科で集中講義をしていただくことになっている。T〜Xが何であるかはここでは解説できない。セミナー当日までに書類を翻訳してもらおうと思う。

 「厳しい対立もあった運動は現在、大きくは障害者権利条約を受けた国内法・制度の整備という方向に収斂しつつある。それは、様々の困難に遭いながらも前進をもたらすだろう。ただその運動はより困難な局面に遭遇してもいる。運動が、Tの時期から抵抗し、Wにおいて自覚的に対象化し批判してきた「社会の都合」が、身も蓋もない資源・経済の問題として現れている。すると医療・福祉に関わる社会運動が旗印にしてきた「自律」を言い続けるだけではうまくいかない。そしてこれは世界的な問題であり、W〜Xが国際的にどのように捉えられてきたかを見る必要もある。国によっても差異がある運動と主張とその背景を比較検討するために、催の共同企画等既に研究協力関係を築いているJo Hanjin(韓)、Cai Cong(中)、Colin Barnes(英)、Fernand Vidal(西)、Karen Nakamura(米)らの協力を今後も得て互いに議論し、成果を多言語で発信する。」

 私は、近代とともにあって近代を肯定する思想はその発祥の地である西欧において反省されることのない信仰として根づいていて、障害学もまたそれから無縁でないと考えている。とすれば、その地域から離れているところで、別の思想が展開され、それがより普遍的なものであるのならば、やがて世界の全域に波及していく可能性もあるかもしれない。それにしても、理論的に正しいことが信仰を崩すことはない、というほど困難である。だからその作業は困難なのではあるが、しかしなすべきことであると思う。今回のセミナーが「脱・近代」を志向するものであるとするなら、結局そうせざるをえないのである。このように大きく構えることと、一つ一つの実証的な仕事を積んでいくこと両方が同時にあってよいし、その方が研究は楽しくなるはずだと思う。


UP:20150917 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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