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近代は続く、そして障害は近代だから正当なものとして存在する差別であり、同時に近代を保つ部品である、が

立岩 真也 2017/10/25
於:韓国・順天郷大学

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On Private Property, English Version

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近代、とその次?
 何度か、近代は続いている、昨今大きな変化があったと思わないと述べてきた。まず新しいと言われたことのいくつかはそう新しくもなかった。例えば消費社会論があり、それが捉えた現実はたしかにその時代にあった。だがそこでなにか格別に新しいことが起こったとは思えない。
 むろん例えば技術の進展がもたらす変化(の可能性)はあり、私も幾つか関連するものを書いてきた。社会にたしかに変化は様々にあってきたし、これからもあるだろう。つまりは、そのどれを、何と比べてどれだけ大きなもの重いものと見るかである。私があまり変わらないと言う時、それは、この社会がその基本に「能力」に関わる価値と規則を有している社会だと捉えることによっている。それは一つの捉え方だが、大きく存在していることは事実であり、またそれは、社会(科)学がまず捉えた近代(化)でもある。つまり、属性(原理)の社会から業績(原理、あるいは達成原理)の社会へというのはまったく古典的な把握なのであり、その社会は終わっていない。
 二つがある。一つは、A:この社会における所有に関わる規則とそれに関わって生じる現実の財の配置である。一つは、B:人とその行ないと行なえることの間の関係を巡る価値――能産的であることにおいて人は価値を有するという価値――である。近代を問題にするとはこの二つともを問題にすることだと私は考えてきた。そしてこの二つは、障害者〜非−能力者(後者の範囲は前者より広い、このことの意味は後述)に困難を生じさせる。だから、障害(者)について考えることは近代社会を考えることである。近代社会を考えることは障害(者)について考えることである。
 価値の方は、端的にそれを否定すればよく、そしてそれは簡単なことのように思える。しかし、近代という時代は自らを反省し懐疑する時代であるという話もあるのだが、意外にさほどでもない。政治哲学や生命倫理学と呼ばれるものをいくらか勉強してみると、その信心は変わらず強固であり、その信心が保たれている普通の近代がずっと続いてきたことがわかる。それに対して、ポストモダンの思想は、ともかく近代にあるものを信じないという傾性を有している。これは、信じないほうがよい者たちにとってよいものだった。1980年代はそのポストモダンが流行していた時期ではあった。たくさんの翻訳書等々があり、読まれた。それは近代を信じることはないというメッセージとして受け取られた。そんな「気分」「勢い」がもたらされた。ただそれは一度もらえればそれでよいようにも思われた。障害者の運動は、信じるなということをもっと単純な標語によって、示した。この時、この価値という場面だけをとれば、すでにこの時代は崩されたと言ってよい。このように考えることは意外に大切なことだと思う。
 一つ誤解を招く可能性があるとすればそれは、Aの価値と、B:市場において能力・業績に対応する取り分の差が生ずることに関わる人の選好、簡単にいえば自身が楽をし得をしたいという選好とは別のものであるということだ。とともに、両者は別のものだが関係はしている。これらの契機、その間の関係を、ごく低い水準の分析的理性によって――つまりポストモダンがどうとか言う必要なく――明らかにしつつ、社会の現実の構成・構制をどのようなものにしていくのかを考えることが必要だと私は思い、考えようとしてきた。そして、それが次節に述べる障害と社会との兼ね合いをどう考えるかにも大きく関わっている。
 こうして、社会の組み立てを考えることになる。かつて社会が「がらっと変わる」という予測・希望があった。もちろんマルクス主義の主張がそこにはあった。近代の後の時代を言う最も有力な主張であるとされ、その退潮は、一方では近代が終わりそうにないことを示し、他方では、別様に「ポスト」を言おうという動きを生んだ。それをどう受け取るか。がらっと変わるはずだという前提がある時、それが実現しないことは停滞と倦怠を生じさせる。それは、かえって現に存在している力や起こっている闘争を軽くみることにならないか。私は基本的には退屈にものを考えていこうと思うし、いけばよいと考えている。ただそれは、「ラディカル」な案とされたものがどのような仕組みのものであるのかをふまえてなされるのがよい。また私は、マルクス主義(的なもの)のなかにまったく肯定的に受け取ってよい部分があるとも考えている。このことも別途論ずる。

障害とは何か、とは問わない
 その近代の社会において、「障害」という捉え方はどうなのか。多くの場合連続的でもあり、また種々多様であるできる〜できないから「障害」を取り出すことが、この社会を維持する仕組みであるとも捉えることができる。
 まず、「非能力者」の差別を差別としないのが近代社会である。身分・門地その他「属性」による人の扱いが異なることを差別として否定し、能力・業績を原理として成立したのが近代社会であるというのは社会科学の古典的な把握である。
 なぜそれは差別でないのか、正しいことなのか。拙著『私的所有論』で検討した。できる人に多くを与えるならできることが増え社会にとって望ましいという機能的な答の他には、自分が原因となったものについて、原因・主体であるがゆえに、自分は権利(と義務)を有するという答があった。「ゆえに」がどうして言えるのだと拙著(の第2章)では述べたが、ここでは言われたとおりに受け入れるとしよう。だとしても、「自分のせい」と言えないものについては、権利と義務は正当化されないことになる。障害はどうか。それはたまたま与えられたものだ。ならば免責されて当然のはずだ。しかしそうして権利・義務を解除していったら、その部分はずいぶん広くなるのではないか。そして自分でどうにかなる/ならない、の境界は定かでない。すると近代が正当とした領域は浸食されていかないか。そして障害はその境界を脅かすもの、すくなくとも潜在的に破壊的な契機である。例えばJohn Rawlsその理論から事実上障害(者)を追い出しているのもこのことは関わっているかもしない。ただ、だからこそ政治哲学の学者たちに気にもされるようであり、近年ではMartha Nussbaumが論じている(別に論ずる)。
 こうして、安定しない部分に障害はある。そこで、「できないこと」全般から「障害」を切り離すという手がある。そしてその切り離した「障害」をいくらかは特別扱いし、そこに入らない「非−能力」についてはそのままにして、差別してもよいことにして、能力主義〜近代社会を維持してきたとも捉えられる。はっきりとその人のせいでない部分、所与のものとして身体に刻まれているものについては救済の対象にするというのである。
 もちろん多くの時代・社会において、種々の身体と身体に関わる状態は、種々の名称を冠され、区別されてきた。そしてある部分は差別されてきた。その一部に近代社会と障害の関わり方がある。その関わり方(の始まり)には複数があり、地域、国の事情による異なりがあり、偶然的な事情も関わる。一様でないとともに、共通した部分もある。この社会の歴史において、なぜ「狭い意味での障害」が取り出されてきたのかと考える必要がある。そして取り出されるとは、排除されることと反対の意味の言葉ではない。排除されるものとして取り出されたということもある。そしてその取り出し、排除し、そして包摂する方向、いきさつは様々である。
 一つは資本主義の勃興・進展、労働、労働の場のあり方の変容との関連を言うものである。かつて生活と労働の場が分かれていなかった時に目立たなかった人たちが、労働の場が分けられることによって、その場から排除される範疇として障害者が区画されたのだと言う(Michael Oliver)。他方で、労働の場への「包摂」が目指されることもある。これは、不運を自らかの力で克服する、それを社会の側が助けるという図式になるから、近代の教義において許容され歓迎されることでもある。
 さらに、他人たちの生産を維持するため促進するために、施設に収容するなどすることがあったはずだと言われる。これは日本では戦後精神病院とそこへの収容者が多くなっていくことを説明するときに言われた。他方では、世話する仕事を家庭に閉じこめることが、生産にとって都合がよかったのだという説明もあった。
 次に生活の保障について。ある部分を障害として取り出し、その部分については業績原理・能力主義的でない給付を認める。労働に参加しようとも働けないとされる人たち(のある部分)を障害者とし別途給付がなされることになったと言う(Deborah Stone)。
 そうした人のなかでも対応が望ましいあるいは余儀ないとされる人たちと後回しにされる人たちがいる。そしてその事情は、人々が「運動」や「学」に向かうかどうかを左右する。
 たいがいの近代国家において、傷痍軍人の生活の保障、例えば年金の支給が最初にあった。その人の障害をその人の「せい」にすることはできない。その人たちは当然に免責される人たち、むしろ厚遇せねばならない人たちだ。この部分には対応し、その人たちは特別に扱われることになった。
 傷痍軍人たちもこの社会が起こした戦争の被害者であるとも言える。ただこの人たちは予め社会が名誉の人として対応することにしている人たちである。それに対して、被害者であることを主張し、そのことを社会が認めることを主張し、合わせて生活の保障を求める人たちがいた。例えば公害・薬害等の被害者である。この人たちにとっては、国家は生活を求める相手であるとともに責任を追求すべきその相手でもある。
 そして日本では、無辜で重度の子どもたちが取り出された。その家族、親たちが救済を求めた。その負担の深刻さは明らかであり、そのやむをえぬ事情は理解された。そして治療法の研究も政策的対応の正当化の理由とされた。理解・同情と、原因・治療法の解明という目的とともに、筋ジストロフィーの人たちと重症心身障害児が、結核療養者が減っていった国立療養所に収容されていったことを記した。それを求めた親たちも政府から金を引き出すためには、お願いせざるをえない。そこにあるのはわりあい単純な心情を捉える言説である。それを反省的に捉え、社会に対していくという戦略は取られにくい。
 こうして、免責が容易にえられそうなところ、免責と援助を正当化しやすい困難があり無辜である人たちから、認定され、なにほどのことがなされていく。

批判者である障害学は願いをかなえもする
 そこから、より大きく社会を対象とし問題にする流れはどのように出てくるか。一つは、できる、のにできない、という層からである。英国の障害学、障害学につながる障害者運動の人たちは中途障害で、教育も受けていて、頭脳や言語には障害がなく、発話が可能で、発言・主張ができる。身体の方のリハビリテーションは効かないが、例えば車椅子で移動できる環境があればできるようになる。社会を変えよ環境を変えよというのがその主張になる★01。まず「社会モデル」はこの辺に位置づく。
 その人たちは社会に批判的である。この社会において不遇であるからにはそれも当然に思われる。ただ、必ず、強く批判的でなければならなかったか。その主張が現われた時期があり、そこで集団を形成した人たちの思想・主張の傾向がある。さらに、労働が別様に社会に組み込まれる社会・体制であればこうはならないと言い、資本主義を問題にもする。そこで理論を組み立てることになる。それは「学」になる。
 ただ例えば、政府の介入によってコスト負担がうまくなされるなら、より多くが労働者となれる。それは生産の増加をよしとするなら、そしてそれがコストに見合うのであれば、雇い主たちも、資本制もそれを歓迎してよいことにもなりうる。そしてコストに見合う便益が生じることは運動側が言うことでもあった。これはこの社会にとって、社会の価値にとってマイナスではない。だから、それは社会を批判し要求する運動だが、近代社会の教義に反するものではない。
 まず一つ、一部を取り出しその部分になにがしかを与えることによって帰責の問題を処理し、すくなくとも曖昧にし、無情で無慈悲でないことを示す。また、補われればできる人たちの主張は、自らも努力しまた社会もそれを支援することによって、できるようになることにつながり、ここでも、あるいはさらに、この社会とうまくやっていくことになる。

しかしとどまることはしない
 こうして社会に対する強い批判から始まるのだが、しばらくすると意外にこの社会(の多数派・主流)とうまくやっていけることにもなる。それはフェミニズム他のある部分が逢着した場所でもあった。では、すっかりうまくいってそれで終わりになるか。しかしそうもならない。
 運動のすくなくともある部分と学問のある部分には似たところがある。運動が正義を掲げるなら、その正義が及んでいない部分にもその正義は及ぶべきであるとなる。個別の特殊な利害にとどまらず普遍的であろうとする。学は、論理と事実をもとになされた提起が妥当なものであれば、それを受けいれることになる。これもまた実際に起こったことだ。例えば日本で戦後早く運動を形成した組織や人は、その主張や運動の方法を他の人たちにも伝えていく。
 そうして学や運動が関わる障害の範囲・規定も変わってくる。それを二つに分けることができる。
 一つ、わかりやすく可視的な障害だけを取り出し、それを有する人たちだけに所得を保障し、サービスが供給されるのは不当であると言われれば、それはその通りだ。そもそも、身体に現われるものとして、医療者・専門家の判定をもってその存在が認めらるというインペアメントを重くみないのは、社会モデルを唱える障害者運動障害学の人たちの主張でもあった。実際、日本では、「難病」の範囲の拡大をめぐってこのことが起こった。
 そして一つ、「重度」の人たちから、環境を整えればできるようになると言うが、それはそんなに簡単なことでないと言われる。言わされなくてもわかるはずのことだが、あらためて言われるとそうはそうだと言うしかない。環境が整えばみなができるようになる、貢献できるようになるに稼げるようにはなるとは、そう単純には、言えなくなる。
 こうして、論理と正義に忠実であろうとすれば、始まった話も変化していくことになる。

ではどんな方向に行くのか?
 とすると運動と学はどのようになっていくか。またなっていくのがよいか。大きく二つある。
 一つ。5つはあると述べたものの交錯や重なりを見ておく方がよいと思う。例えば、そのどれを身にまとっているかによって、なおすことに対する態度が異なる。一方になおりたい人たちがいる。他方にそれをよしとしない人がいる。両方を同時に思っている人たちもいる。いったいどうなっているのかを考える。「生存学」という企画は、その実質において、そんなものにもなっている(生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』、2016)。こうして身体の方に向かう。
 もう一つ、身体からより広いところに話をもっていくという方向がある。それは社会理論とそのその更新に向かう。まず、「無能力」の「障害化」をどんどん進めていけばそれでよい、とはならないだろう。これも障害だ、だから対応すべきだという主張・要求の仕方では、その範疇に囲われない人はいつまでも残ることになる。分ければとてもたくさんの種類の人たちがいるし、なんとも名づけられていない人たちもいる。将来は見いだされるかもしれないとしても、見いだされないものもあるだろう。またそのような詮索自体が好ましくないということがある。こだわらないようにしたほうが「障害者」と他の困難な人たちとの間の分断をもたらすことも少ないだろう。インペアメントにこだわらず、疾患・障害名によって資格を付与するでなく、生活上の困難に注目すべきだというのは社会モデル・障害学の主張でもあった。この道を進むと、障害という範疇をこえていくことになる。
 そのように社会、社会政策を考えることになる。それは身体から離れていくことではない。むしろ、身体の状態を判定されること規定されることに対する懐疑・批判は、判定や診断を求められてきた人たちから示されたのである。それを受けて、例えば判定や診断を必要とせずしかも公正な社会的分配はどのようにしたら可能たといった議論に寄与することができるはずである。こうした場面で社会科学や社会学全般は意外に仕事をしていないのであり、するべきこと、私たちにできることはいろいろとあると思っている。私は、そんなつもりで、障害者運動において言われたことを思い起こしながら、所得や資産について、税の徴収と配分について、個々の差異に応じた社会サービスの提供について本を書いてきた。紹介は略する。また労働について書いた部分はまだ本にまとめられていない。私は私でその仕事を続けていく。そしてその作業の中には、体制を変えるという意味での「ポスト」をどのように捉えるかも含まれる★02。そうした議論もまた、それを障害学などと呼ぶ必要はないと思うが、必要であると考える。

★01 他の国・地域、例えば日本ではどうか。すこし違った道を辿った。1970年代からしばらくの運動を担ったのは、高等教育を受けた層ではなく、簡単に就労にも至らない人たちだった。ただ、その人たちのなかには、学校でないところで文字や論理を操ることを学んだ人たちもいたのではある。こうした場合に論理と運動はどんな道を辿ることになるか。それもまた考えどころであると思ってきた。
★02 マルクスの思想は大きく異なる二つの方向に向かった。一つは、労働による取得という古典的な近代の所有原理に忠実であることによって、労働者の権力を主張し体制の転覆を求めるという方向である。私(たち)はその原理を否定するからこれは支持できない。一つは、生産力の増大によって、労働に応じた分配から進んで必要に応じた分配が可能になるという楽観である。そして知られているように、この二者は社会主義から共産主義へという二つの段階として想定された。私は、後者をたんなる楽観でなく、現在の現実的な可能性として捉えることができると考えている。ただ、それは、冒頭にあげた「自身が楽をし得をしたいという選好」を否定できないなら、強制力の存在しない自発性のもので達成されるのではなく、政治・権力の介在が要請されることになる。

立岩真也 2011 "On "the Social Model"",Ars Vivendi Journal 1:32-51
―――― 2016 On Private Property, English Version,Kyoto Books


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立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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