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長生きは幸せか 社会学者、立命館大教授 立岩真也さん
立岩 真也
2017/09/09 『中日新聞』『東京新聞』2017-9-9
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017090902000211.html
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※関連した近年のコメント、インタビュー、講演(他にもあるはず…これから掲載していきます)
◆2014/11/07
安楽死尊厳死についてのコメント
『東京新聞』2014/11/07朝刊
◆2014/11/04
安楽死尊厳死についてのコメント
関西テレビ,ニュースアンカー
◆2014/10/30
「安楽死尊厳死に対して来た人たちと」
「骨格提言」の完全実現を求める10.30大フォーラム 於:日比谷野外音楽堂
◆2014/10/15
安楽死尊厳死についてのコメント
『情報ライブ ミヤネ屋』,読売テレビ・日本テレビ…
◆2013/10/25
オランダでの安楽死の動向についてのコメント
『週刊ポスト』2013/10/25
◆2012/10/11
「安楽死・尊厳死とは何か――法制化の底流を探る」
学習会「安楽死」、「尊厳死」とは何か――法制化の底流を探る,於:参議院議員会館
◆2012/03/29 コメント
「尊厳死、なぜいま法制化の動き」,『東京新聞』『中日新聞』2012/03/29 cf.
安楽死・尊厳死 2012
◆2012/03/22 コメント
尊厳死法案に関する朝日新聞社の取材に応えて cf.
安楽死・尊厳死 2012
◆2010/10/02
「争いを期待する――御挨拶に代えて」
公開シンポジウム「生存学×医療の哲学×生命倫理学――安楽死を巡る学説の展望と課題」
,於:京都府中小企業会館
※以下の記事のもとになったインタビューの全文を掲載することがあるかもしれません。
脚本家の橋田寿賀子さんが『安楽死で死なせてください』という本を出されました。橋田さんのように活躍された方が引き際を気になさる気持ちは分かります。でもね、せっかくなんだから長生きした方がいいじゃないですか。
僕の父親は認知症が進み、僕が誰なのか分かりません。自分がそうなったらきついとは思います。でも、父はそうなったらなったで生きたいと思っていると感じます。それはけっこう大切なことで、今までの自分でなくなる前に「なりたくないな」という思いと、なったらなったで「生きたいな」という思いは両立すると思います。
お年寄りは昔から「もう(長生きは)いいよ」と言うものです。それを聞いた人は「まだ元気じゃないですか」と返すのが礼儀。大げさにいえば、それが社会だと思うんです。「もう死にたい」と言われたら「大丈夫だよ」と言ってあげる。言うだけじゃなく、長生きできるような手だてをする。それは難しいことではない。
尊厳死というか安楽死の法制化に僕は反対の立場です。原理原則としては、人には死ぬ権利があると言っていいとは思います。しかし、いざとなったときに死にたいという人は非常に少ない。そのときに「死んでもいいよ」という社会は、死にたくない人をたくさん死なせることになるでしょう。
例えば、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で呼吸器を付ければ生きられる人たちの過半数が付けない道を選んでいます。そういう人たちが晴れ晴れと死んでいっているかというと、全然そんなことはない。本当は生きたいけれど、このままでは大変だし、お金もかかるし、家族は大変だし、という中で死を選んでいるのです。
高齢者の医療・福祉で、政府は三十年以上前から医療からの撤退を進めてきました。一人一人の状態を見ない機械的な撤退です。医療から福祉へ、ではなく、医療も福祉も、であるべきです。医療の側の問題として、治らないならあきらめてしまうというものがある。治らなくてもやれることがあるはずです。若い人からすれば「いい年になったら、治療はもういいでしょ」と思うかもしれませんが、いつが「いい年」なんて誰にも分からないのです。
(聞き手・大森雅弥)
UP:2017 REV:2017
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