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■義務、だと思う
まず、ちかごろ数多くなった、精神保健福祉士の養成といった場所にいる皆さんは、読んでくださいませ。理由は、これから書くことを読んでもらえばわかると思うが、短く言えば、その人たちはなにか正しいことを教えることになっているし、なにかものを知っていることになっている人だからだ。むろん同じことは、教えるのでなくても、政策だとか施策だとかに関わっている人たちにも言える。
それは、本書全体が取り組んでいる主題についてもちろん言えるのだが、それ以前、「保安処分」とか「Y問題」といったこと、知っていることになっていることについて、いつまでも知っているふりをし続けるというのも苦しいだろうから、この本でほんとに実際に知ってください、ということがある。
そして、教えられている人、とりあえず仕事だから仕事をする人、さらにいろいろと(「支援」を)されている人は、学費を払ったり、あまり役に立たないことや迷惑なことをされたりして、すでに支払いがあるのだから、加えてこの本の代金を払うことはない。ただ、とくにいまいち、あるいはおおいに、教えられていることされていることに腑に落ちないところ、なんだかおかしいと思うところがある人にとっては、△291 この本は、すぐにではないが、使える本だ。
■審査報告書再掲
まず短く告知・広告した。さて、本書は博士論文がもとになっている。私はその論文の主査だった。主査という役の人は(主)担当教員が就くことが多く、それはこちらでもそうだ。そしてこの役の人は、私の勤め先では、教授会による博士号授与の合否を決める投票に際して、「審査報告書」を書いて朗読することになっている。そしてその書類は、教授会での朗読に際して誤字等の指摘、修正の提案を踏まえて書き直されることがあり、そうして作られた書類は全学の会議体――これが最終的な決定機関になる――の際にもその場に提供される。
この十年あまりの間、もう五〇ほどそうした書類を書いてきた。多くが春に提出されるので、多くは七月の終わり、一年でいちばん面倒な仕事だと愚痴を言うことがある。通る(通す)ためには、(いろいろ課題はあるにせよ)基本的にはよい論文であったと書くことになる。そのことに、私は、私が担当するすべての場合に異論はないのだが、とはいえどのように書くかということになる。その報告書には大きくは三つの項目があって、三つめは形式的な記述だから略。一番目は「論文内容の要旨」で、これは筆者が書いた要約が使えるものであれば、使わせてもらう。でないと自分で作ることになるが、樋澤さんのは使えたので、ほぼそのまま。だから、ここに再録するまでもない、とも思うが、とにかく短いので、引用。△292
□論文内容の要旨
本論文は、日本における保安処分に対して、少なくとも1980年代前半までは強固に反対の立場を堅持してきた「日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会」(現「日本精神保健福祉士協会」、以下、協会)、そして精神保健福祉領域のソーシャルワーカー(PSW、資格としては精神保健福祉士)が、2000年代以降、その構造的類似性から一種の保安処分と同定できる「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(2003年成立、2005年施行、以下医療観察法)に対して実質的且つ積極的に関与を表明するに至った過程を整理し、検討を行うことを通して、PSWの医療観察法への関与の正当化論理、及びその鍵概念となる本法における「社会復帰」の意味について明らかにすることを目的とする。
論文の構成は、序章、第1章「保安処分の概要」、第2章「日本における保安処分導入の過程」、第3章「協会の保安処分に対する「対抗」の過程」、第4章「協会の医療観察法への関与の過程――保安処分とPSWとの親和性」、第5章「PSWの医療観察法への関与のロジック――協会機関誌『精神保健福祉』における2つの特集の検討」、第6章「「精神保健観察」にみる社会復帰の意味」、終章「本研究のまとめと今後の研究課題」。
まず第1章・第2章で戦前から刑法学者による保安処分に関わる主張が整理される。第1章では、後述される医療観察法につながる始点として、保安処分の定義、執行形式、そして保安処分と刑罰との関係が整理され示される。第2章では、日本における保安処分導入の経過が概観される。そこでは保安処分の主張が多様であったことが確認されるが、その上で、後に成立する医療観察法を保安処分と捉えるのは妥当△293 であることも示されることになる。第3章では、1960年代後半以降、保安処分が日本精神神経学会や精神障害者たちの運動において批判の対象とされていったその歴史が辿られる。そしてこの動きに連動し、協会もまた反対の側にまわったこと、以後その反対の立場自体は明確に否定されてはいないこともあわせて示される。
そうでありながら、協会は「同時に」医療観察法に関与していく。第4章では、医療観察法成立の過程を整理した後、協会による医療観察法に対する見解等の内容の整理を通して、協会が「迷走」しながらも、徐々に本法に積極的に関与していく様相が明らかにされる。第5章では、PSWがどのような論理によって、あるいは言葉の運びによって、医療観察法への関与を肯定しているのかについて検討された。第6章では、医療観察法におけるPSWの職務のなかでもその使命を具現化した社会復帰調整官の「精神保健観察」に関する論考の整理検討を通して、PSWの医療観察法への関与の正当化論理及びその鍵概念となる本法における「社会復帰」の意味について明らかにすることが試みられる。そこでは「社会復帰」を支援する職務がPSWの職務であり、その一部に医療観察法のもとでの職務が位置づけられ正当化されていることが確認された。
次に「論文審査の結果の要旨」。
論文審査の結果の要旨
制度の始まりや変更についてそれに関わる学会・業界の対応やその変遷を辿ることの意義は大きい。に△294 もかかわらず研究はわずかである。それでも日本精神神経学会の動きについてはいくらか知られているが、コメディカルと呼ばれる職種や社会福祉の側についてはこれまでほとんど研究がない。本論文で医療観察法とPSWとの関わりの推移が詳細に明らかにされた。しかもその組織は態度を変更している。それは医療観察法をどのように見るか、それへの関わりをどのように考えるかに関わる。そして本研究は職能団体の性格・動態を明らかにしようとする研究でもある。協会の医療観察法への関わりを詳細に辿った本論文が博士論文の水準を十分に超えていることを審査委員は一致して認めた。
そして筆者は態度の変化がどのようなものであったのかを検討している。ただその「変節」は過去の見解を否定したうえでなされたものではない。そのため、変化がどのようなものであったのかの評定は困難なものになる。筆者は医療観察法成立の前後に協会が出したあるいは協会が名前を連ねた文書(全て巻末に資料として収録されている)、そして協会機関誌『精神保健福祉』で2度行われた特集に掲載された協会の関係者他の文章を検討した。ここにも論理的な過去の立場の否定があるわけではない。以前あったはずの将来の危険性の予測可能性が疑わしいから強制処置の正当性は得られないという論点は、医療観察法とそれへのPSWの参与を肯定することになってからの文章にたんに現れないといった具合である。
こうして医療観察法否定の根拠を否定するのでなく、それに言及しないまま、肯定・受容の側への移動がなされる。そこに何があったのか。筆者は、一つに職域の拡大・確保が動因としてあったと推測する。そして以下を列挙している。日本弁護士会が示したPSWの参与を含む案に協会は肯定的に反応した。法制化の流れの中で与党案に「地方裁判所の判定機関」を構成する一員としてPSWが記されたことを契機に、協会は全国の保護観察所にPSWを位置づけるという与党案より一歩踏み込んだ「要望」を提出した。制△295 定された法のもとで職務が規定されていることに肯定的に反応し、成立・実施後はその職域の拡大を求める主張をしている。以上からその推定は妥当なものだろう。
そしてここでは、どうせ決まった制度であるからには他の職種よりも自らがよく「本人の側に立って」仕事を遂行できるという論も差し挟まれる。そしてもう一つ、PSWの本務としての「社会復帰」を援助すると言う時のその社会復帰が、安全な存在としてその社会でやっていけるような人になることであるとされ、それを支援する仕事が肯定され、それが医療観察法への参与への抵抗を少なくさせたと筆者は考える。これも妥当な把握であるだろう。
以上のように筆者は、協会やその関係者が言ったこと、そして言わなくなったことを辿りながら「変節」を跡付け、その上でそこに働いていた動因について傍証を重ねそれに迫りながら、その作業の困難をも感じることになった。その試みから何を受け取れるか。
PSWの仕事はパターナリズム、そして強制に接している。それが正当化される場面があることを筆者は認める。同じ立場をとるとしよう。しかしだからこそ、将来の可能性予測は強制力の行使を正当化しないというように、強制力の発動に慎重であるべきだとされよう。そう考えるなら、本論文に描かれたのは、その「留め金」を知られぬ内に外してしまったその歴史だったとも言える。このように強制への関与の道が開かれることがあることを本論文は示しているのでもある。
■手を挙げることに何が作用していた(いる)のか
この「論文審査の結果の要旨」には、ときどき、この論文はこう読む(こう読△296 んだらおもしろい、こう読むしかない…)という文章を書けることもある――そういうものの幾つかをそのうちホームページに掲載することにしよう。樋澤さんのはそうはうまくいかなかった。「結局何が起こったんでしょうかね? 何か見つかりますか?」といったやりとりを、論文提出の前、何度かしたように覚えている。はっきりした「証拠」はでてこなかった。むしろ、はっきりとした方針の転換、転換にあたっての根拠の提示といったものが「なかった」ことがこの論文で明らかにされたと言うべきか。
それはとくに珍しいことではない。むしろよくあることだ。だからこそ、こういう論文は書かれねばならない。はっきりした派手なことなら、わざわざ調べるまでもないことがあるが、そんな変化でない変化があり、そしてその変化は、人の生活を変えることもある大きな変化だ。論文→本書はそれを捉えている。
その上で、なぜこういうことなったのだろうと、やはり思う。そしてそれを示すようなものは?、と私はずっと樋澤さんと話していたのだが、いうのがさきの話だ。ただ、例えばこの変化に関わった組織(協会)の関係者に仮に話を聞けて何かがそこで言われたとして、ではそれが「答」かといったらそういうものでもない。そこが難しいところでもあり、大切なところでもある。人の「語り」だけを取り出すのが仕事であると割り切って、そしてその自分がしていることがどんなことであるかわかっているなら、そんな人もいてもよい。ただ、「なぜ?」という問いはそれと別に立つ。その答は確定することはないだろうが、では、これまでとそして/あるいはいまと別様に現実をもっていくためにはどうしたらよいのだろうと考えるためには、必要である。むしろ、極端なことを言えば、変化のための条件を考えるために、ものごとの生起・変容の要因・条件を考えるという作業が要請され、その要請に応えられるならその作業に意義があるということになる。△297
何があるだろう。まずわかっているのは、この組織(の人たち)がこの医療観察法関係の仕事をしたがった、したがっているということだ。なぜだろう。医療社会学的な言い方では、専門職は常に自分たちの仕事の範囲の拡大を求めているのだということになるか。ただこれも常に、ではない。例えば金にならない仕事、ならなくなりつつある仕事からは引こうとすることがある。だが、たいした収入にはならないとしても、そして時には自分たちでとうていやれきれることでないと思える(思えるはずの)仕事であっても手放そうとしないこともある。面子?、使命感?、自分たらの技能他を(過度に)高く評価すること? そんなものも含みつつかもしれない、仕事の範囲の、量の、収入の(そしてこの三つは必ずしも相伴わない)確保し拡大しようとする力・動きを見ていくことが私は大切だと思っている。そしてその際、その同業の組織の「上のほうの」人たちと、普通に働いている人たちと、ときに前者を兼ねることもあるその職に関わる教育に携わる人、そうした学校を経営する立場にいる人たち、とそれぞれのおもわく、利害も同じであったり違ったりすることも考えにいれておく必要がある。現場で働いている人たちは、面倒で実入りの少ない仕事などやりたくないと思っているのだが、業界や学界を背負っている(と思っている)人たちはそうではないといった具合にである。面倒な仕事であっても、例えば政府からの依頼を引き受けることによって、政府からなにかを得られる(かもしれない)といった計算が働く場合もある。
「終末期医療」「医療的ケア」等々で私もそんなことを、つまり様々な利害や思惑の錯綜を見聞きしたり、いちいち紹介しないが、何冊かの本に書いたりすることがあった。ここでもなにごとかが起こっているのかもしれない。そうすると、この医療観察法関係の仕事、そして以前に「P」――精神のほうの医療ソーシャルワーカー(PSW)のことを、ときにいくらかの自嘲(と自負?)とともに「P」を呼ぶことを私△298 は樋澤さん「たち」とつきあようになって知ったのだと思う――の仕事がどんな位置づけになっているのか、なってきたのかを知る必要がある。例えば、行政や医療・福祉の組織にその資格者を置くことが規定されていない職種の人たちは、たしょうわりに合わなくても自分の「場」を欲することがあるかもしれないのだが、Pの場合はどうか、とか。
■よいではないか、と思えたのかもしれない、が
そうしたこととともに、医療観察法(的なもの)に関わるとはどんなことか、どんなことだと思っているのか、そしてそれとともに、Pの仕事はどんな仕事か、仕事だと思っているのか。
犯罪を(再度)行なうことを防ぐ仕事もその人のための仕事であると思われる。それは間違いである、とは言えないだろう。次に、本人の「支援」には、ときに「押しつけ」「強制」の要素が含まれる、これも、仕方のないこととして認めざるをえないと思われる。本書の最初のほうでも書かれているように、樋澤さんがこちらの大学院の前期課程――修士課程相当、樋澤さんは日本福祉大学の大学院で修士号をとっていたにもかかわらず前期課程からこちらの大学院に入ってきた――で研究したのもパターナリズムについてだった。パターナリズムは否定しがたい。
両者を組み合わせると、Pが医療観察法に賛成し、そして関わってもよいのではないか。そしてその仕事を自分たちは(他の人たちよりも)うまくやれるのではないか。こういう思考があったこと、あることは、考えられる。このような「連続性」があって、そして、前述した(前述しかけた)なにかしらの利害・思惑が絡んで、「変化」「変節」が起こった、のかもしれない。△299
しかし、ではなぜ、自分たちは、保安処分に反対していた(してきた)のか。それを考えていくなら、そうするっと話が通る(変わる)ことはない。よいではないかと思われたことは再度くつがえされる、すくなくともおおいに疑問だということになるはずなのだが、その辺はどうなっていた(いる)のか。その思考の回路はたんに働かなくなったか。本書を読むとまるでなかったわけでもないようだが、しかしその思考・議論の回路は実効的に作動しなかった。素朴に疑問ではあるし、不思議がっているだけでも仕方がないのなら、今さら、戻って考えることもできる。すると一九七〇年代に言われた反対論・慎重論にいくらかを足した方がよいのかもしれない。私は私で、今年のはじめに出してもらった杉田俊介さんとの共著『相模原障害者殺傷事件』(青土社)の第1章「精神医療の方に行かない」ですこし考えてみた。一つに、本人のための仕事をすることになっている人が、本人のためでない理由(他害の抑止)で強制に関わるという位置にいるなら、それは本業の妨げになる、だからよくないといったことを述べた。これに反論の余地がないわけではない。ただ、そのことも含め、既にいくらも言われたことも含め、まだあるかもしゃない論点も含め、考えることができる。考えられることなく、すくなくとも表立って議論がなされなかったことも含めて、考えることができるし、考える必要がある。
■多くの大勢による仕事が要るし、既にいくらかはある
あらためて、遅くなったが思考と議論を再開するために、停滞と、停滞している間の、気づかれない、あるいは気づいていないふりをし(ときにふりをしている間にいつのまにか)、または自らも気づいていないかもしれない変節があったというその事実を知ることだ。ふりをしていることを決めこんでいる人には△300 打つ手がめないかもしれないが、そんな人ばかりでもないだろう。知ること知らせることの意味はある。
このごろずっと私は、「ただ知ること(→書くこと)が大切だ」といったことを言っている。それが必要な部分・領域がやまほどある、と思っている。
なにかをてきとうに調べて、そして解釈して、なにか展望を示す。ほんとに短い学会報告や論部でそれをセットにして話したり書いたりしてしまう人がいる。いるというだけでなく、それが普通だというのか、とくに「支援関係の学」の大勢のようだ。もちろん、簡単に、短く言えるのならば、それはよいことだろう。だが世の中はそう簡単にいかない。だから、適当でなくまず調べる必要がある。そしてそれを私たちはほっとかないで、引き継ぐ。そのために買って、読む。一人、一つの本で全部やる、なんていう無理な、たいがいは半端に終わることをしなくてもよい。誰かが考えることを引き継ぐために、実際にあったこと(なかったこと)を書いて、本にして売って買って、読まれる。それに意味があるのだと思う。
こうして、全体のまだ掘られていない部分を堀る。例えば保安処分〜医療観察法に医師の集団がどう対応したかは書かれているが、看護師についてはない。Pについてもない。看護師についてはより以前の時期についてになるが、阿部あかねさんが同じ研究科に退出された博士論文「精神医療改革運動期の看護者の動向」(2015)で書いた。そして本書で樋澤さんが書いた。「精神科のソーシャルワーク」についてもいろいろな描き方、いろいろに描く場所がある。吉村夕里さんの本『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるミクロとマクロのツール』(2009)があ。そして今、やはり同じ職業につきこちらの大学院で「相談支援」を巡るじつにややこしい制度のこんがらがりようを書き、博士論文に仕上げつつある萩原浩史さんがいる。これらが束になって、この領域のソーシャワーカーがいま置かれている状況、しているこ△301 と、させられていること、させてもらえていないことが明らかになっていく。そして、一つのことについても、幾種類かの仕事のある部分をやって、次につないでいく。誰かがあるいは自分が考えるために、起こったできことを記述する。それを受けて考える。学問が、増殖していくものであってよいとすれば、それは、こんな具合に覆うべき最低限を覆うためにある。ここが空いている、やってみたらいかが、といった周旋屋のような仕事は、じつは私はたいしてできない。大学院では「自分のテーマ」を尊重することになっており、こんなことをする人がいたらいいのにといったことは、ツィッターでつぶやくぐらいだ。
結局、埋まるべきところが埋まるのを、気長に待っているしかないことになる。しかし私自身はそんなに気長な性格ではないから、いくらかじれったいところはある。そこで、こんな具合になされてよい仕事が分布している、こちらで研究してきた人たちの仕事はこんな感じで相互に関係していることを本等で示す。『生存学の企て』(立命館大学生存学研究センター編、2016)はそんな本だ。ただ基本的には、待っていて、手伝えるときにはすこし手伝って、よいものが出たらよかったと思う。そうした論文〜書籍はじつはじつにたくさんあって、みなここに挙げることはできない――右記の『企て』をご覧ください。この文章のように、単著の中に「おまけ」を載せてもらったもの二つだけ書名だけあげさせてもらう。定藤邦子『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝を中心に』(2011)に「関西・大阪を讃える――そして刊行を祝す」。有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』(2013)に「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」。そして、ここで書名をあげた本すべては生活書院から出してもらっている、から出版社名を略した。△302