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高額薬価問題の手前に立ち戻って考えること


立岩 真也 『Cancer Board Square』Vol.3 no.2

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Cancer Board SquareVol.3 no.2
FT|がん診療のコスト原論

(キャッチ)
ケアと資本主義

(タイトル)
高額薬価問題の手前に立ち戻って考えること

(リード)
コストがかかる、という言説の手前に立ち戻ることで見えてくる風景がある。
所有権の観点から医療や病気をテーマに思考を続ける社会学者に訊いた、お金と医療の考え方。


(人物紹介)
立岩 真也
立命館大学 生存学研究センター長 
同大学大学院先端総合学術研究科 教授

(略歴)
たていわ・しんや
Shin'ya TATEIWA
1960年、佐渡島生まれ。専攻は社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大学、信州大学医療技術短期大学部を経て現職。これまでの著作に『私的所有論』(勁草書房、1997、第2版生活書院、2013)、『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社、2000)『自由の平等――簡単で別な姿の世界』(岩波書店、2004)、『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、2004)、『希望について』(青土社、2006)、『良い死』(筑摩書房、2008)、『唯の生』(筑摩書房、2009)、『人間の条件――そんなものない』(イースト・プレス、2010)、『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社、2013)、『自閉症連続体の時代』(みすず書房、2014)、『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(青土社、2015)など、共著も含め多数。
その他詳細は、http://www.arsvi.com/ts/0.htm

(本文)
――「ニボルマブ」を代表とする全く新しいタイプの抗がん剤が発売されました。その効果の高さと免疫療法という新規性も話題になりましたが、その高額薬価がマスコミ誌上で話題となりました。

 抗がん剤の新しいもので、とても高い薬が話題になっているという話は聞いたことがありますが、その詳しいところは知りません。
 ただ、基本的には、僕は長期あるいは中期的にも薬価については心配ないと以前から考えていて(『良い死』第3章「犠牲と不足について」)、その信心を取り換えるつもりはありません。基本的な僕の立場はそれに尽きます。
 実際には、薬を作る側の開発費(設備投資なども含む)や国としての薬価の決め方などの仕掛けがあって、値段が決まります。ですが、その手前の段階で確認しておくべきことがある。そういう極めて基本的なことを今回は話してみます。
 本当に希少なものがあるとします。それを必要とする人間が多く、全員に行き渡らない場合、この不釣合いな状況をどうすればよいのか?という暗い話があります。『私的所有論』で取り上げた話ですけど、功利主義の立場からSurvival Lottery(生存籤)というものが言われたりします。臓器移植に際して、籤で健康な一人の人を選2018/04/04び、その人を殺して複数の臓器を取り出し臓器が必要な複数の患者に臓器を移植すると世界の効用が増えるといった話です。その功利主義をどう考えるかはともかく、求められている臓器の数が、人を殺して臓器をとることをよしとしない場合にですが、提供されうる臓器より多いといった場合にこういう話が起こりえます。資源というか材料というか、あるいは求められているものそのものが絶対的に希少な場合を想定することは可能です。ですが、現実にはそのようなことはほとんど起こらない。薬の材料はほとんどの場合この世界にいくらでもあるものであったり、製造し増やすことが可能なものです。
 薬剤は開発費がかかるから高くなるというのは事実です。開発費も年々上昇しています。しかしでは開発に、そして生産に何が必要か?と考えてみましょう。そもそも薬に限らず世の中にあるものは何でできているか? それは、「天然資源」と「人間の労働」によってですよね。これは世の中にあるものを二つに割った二つですから、これ以外にはない。
 まず、人間の労働について想定しうる最も深刻な状態は、その作り手自体が少ないため生産量も少なくなってしまうというケースです。しかし、今回の薬に関しては当てはまりそうもない。現実には「人材は余るほどいてその用途に困っている」というのが僕のこの社会の対する見立てです。
 次に、材料となる天然資源が、圧倒的に希少で手に入れることすら難しいという状況はあるかもしれません。しかし、ニボルマブの材料はなんでしょう? 恐ろしく貴重で限られた材料をもとに作られているのでしょうか? いや、そうではない。
 以上から、「生産する人材が足りないことはない」「材料となる天然資源が不足しているわけではない」のであれば、基本的には何も心配はいらない。極めて例外的に本当に少ない資源や人材が関わる場合があり、そのときには別の考えが必要になるが、そんなことはほとんどありえません。
 さらに、人の手で新しいものを作るとき、開発までは時間も費用もかかりますが、一度されてしまえばあとは量産をするだけです。それ以降は開発費はかかりません。であれば、かかった開発費を製造の個数で割ればよい。単純な算術の問題です。そうなると、1個当たりの価格は当然逓減していく。コストや値段について考える際に、その手前で基本的に考えられることはこれに尽きます。

(本文)
――その一方で現実には高額な薬が続々と登場しています。薬価が決まる仕組みに問題があるのでしょうか?

(本文)
 先に話したような基本的な考えとは別に、「独占」という状態があります。売り手市場になります。この場合は、資源や人材とは異なる基準で価格がつけられます。
 かつてHIVの薬が販売された頃に今回のニボルマブと似たような状況が起こったように記憶しています。HIV治療薬はご存じのように単剤では効きません。多剤併用です。サハラ以南のアフリカではいまだに深刻な問題で2001年頃には、年間240万人がエイズで亡くなっていました。これだけの死者が出た理由は、HIV治療薬がその地域には供給できなかったからです。といっても薬がなかった、生産できなかったわけではなく、価格が高かったからです。
 治療薬は先進国では一般的に購入できる価格でしたが、アフリカ諸国ではとんでもない高額となる。特許権を開発した先進諸国の企業が持っていたからです。結局、2001年にアフリカ諸国で抗HIV薬のジェネリックを安価に入手できるような法的措置が取られ(「ドーハ宣言」)、先進国に代わってインドなど新興工業国の製造業者が供給するようになっていった。
 これは薬をめぐる所有権の問題です。開発者・製造者が作ったものに対して独占的な権利(特許権など)を有する、というのが近代社会でのルールですが、これはpragmatical(実利的)に考える限りにおいて一定の正当性がある。つまり、最初に発明した人間がより得をするという仕掛けがあれば、多くの人間が最初の開発者になろうとします。この仕掛けによって、開発速度が上がり、ものが作られ普及する。特許権による、いわゆる「早い者勝ち」の仕組みそのものを否定する必要はないと思います。
 ただし、これはあくまでもより早くより広くものを行き渡らせるためのルールと解釈すべきです。そういった観点からすると、高額薬価の原因として特許権があるなら、まず、その期間を、開発意欲を勘案しつつ、加減することはできます。他の企業が参入できるようにして、競争原理を働かせて価格を下げさせるのです。また価格設定を公的な機関が担うことで、価格を抑えることもできる。
 現実にはここに政治的な思惑が絡んでいることは多い。例えばアメリカで、著作権の延長というのがしばらく前にありました(ソニー・ボノ著作権延長法1998年制定)。背景には「著作権が切れると儲けがなくなる」とするウォルト・ディズニー・カンパニーのロビーイングがあったと言われています。薬の特許権も例えば20年を10年にするかどうかという落としどころを、事情を勘案して決めていけばいい。
 とはいっても、開発してまもないうちに、特許権が切れ、誰でも真似できるというルールにするとインセンティブがそがれてしまいます。それは斟酌してもよい。手段的な合理性の視点から考えるべきことです。すると、現在の製薬業界にある特許切れで梯子を外す(パテントクリフ)というやり方が最善手なのかも、技術的に考えてもよいと思います。10年後にゼロになるからそれまでに資本回収、儲けも出さなければいけないというのはかえって不健全かもしれず、もう少しソフトランディングな方式にすれば、薬価もかえって下がるかもしれない。特許期間も公的な機関がそんな落としどころを見つけて管理することで対処できると思います。

(本文)
――海外では免疫チェックポイント阻害薬の導入を条件付きで見合わせた国もあります。また今回の薬をブレイクスルーとして新薬が次々と投入され、がんの治療薬全体のコストが増え続けていく可能性があります。

 例えばアメリカと日本では医療費のシステムが違いますよね。自分の所得や資産によって、使える/使えないものを決めなくてはいけないというのは、苦しい選択にならざるを得ない。日本の医療費はまがりなりにも保険制度でまかなわれている。個人の財布からの部分はアメリカとかに比べれば多くない。これはいかにも浪費を促しそうなシステムです。ただ、うまく使えは良いシステムでもあります。
 先ほどお話したように、ごく単純に考えれば、使う量が増えるほど1個当たりの開発コストは減っていく。公費負担でがんの治療薬を賄うことができるのであれば、徐々に1個当たりのコストを下げていくことができるはずです。そんな理屈の通りにうまく行かない現実はありますが、公費負担はそんなことができる仕掛けでもあるわけです。
 新薬が次々と開発されるような場合、そんな楽観的には進まないというのはその通りだと思います。ですが、「うまく使えば」そこそこのところに収められる、ということは言えるだろうと思うんです。現場の医師が、あまり薬価問題について話をされないというのも、うまく制度に乗りさえすれば、さほどのことにはならないと思っているからかもしれません。今回の薬が患者個々に調整されて使われるようなオーダーメイド的なものならば、ここまで話してきた大量生産のメリットが失われます。そうした規模の経済が働かないのであれば厄介ですが、そうではない。
 ここでちょっと歴史を紐解きたいと思います。かつて、人工透析が非常に高価だった時代がありました。およそ50年前、1970年頃の話です。現在、人工透析を必要とする患者数は現在30万人程度かと思います。人工透析をするには相当の自己負担額を必要としました1。現在も透析費用自体は高額です。透析患者は増え続けていますが、当時の厚生省は医療費を圧迫するほど膨れ上がるとは思っていなかったのです。透析患者30万人×透析費用何百万円=合計何兆円という予測試算をしていなかったか、そこまで考えが至らなかった。ただそれがかえってよかったとも言えます。その膨れ上がった医療費でこの国が傾いたというと、そんなことは全くない。結局現在まで47年間人工透析は続いています。
 透析だけでなく、ここ10数年の間、さまざまな場面で、医療費に関連する危機論が出てきました。しかし、うまく制度に乗せることができれば解決できるはずです。それを阻害する要因があるならば、その阻害要因を突き止めて、軽減していく。
 僕は、公定価格は基本的に維持してよいという考えです。ですが、公定価格という戦術を今後も維持するならば、それがまともに機能するような仕組みにしないと、高価な薬が矢継ぎ早に出てくるような状況には対応できない。それは言えると思います。

(見出し)
医療に費用対効果を持ち込むこと

(本文)
――新薬承認の際に、費用も含めた効用性という視点で評価し、認可する制度が日本でも始まりつつあります。

 経済学で言うところのいわゆる「情報の非対称性」が提供者と消費者の間になければ市場に任せてよいことがあります。しかし、薬などはそのように放置してよいものではない。そのため、ある程度、薬自体の効果も含めて消費者ではない第三者が評価することの必要性自体はあると思います。ただ評価するといってどんな基準で評価するかです。
 イギリスのNICE(National Institute for Health and Care Excellence)の取り組みなどはここ10年で顕著になったものです。しかし、イギリスの医療を見てきた人は口をそろえて「とんでもなかった」って言いますよね。虫歯にも風邪を治すにも、金と時間がかかり、医療施設はボロボロだったと。イギリスでは、ニボルマブなどの先進的な高額薬を使うか使わないか、という問題よりはるか手前の段階でできないことばかりになっている。人工透析も年齢制限を設けています。それが患者に対してどれほどのことをもたらしているのか。悲惨なことが起きています。
 費用対効果などの評価を導入することで、患者の将来に続く道をカットしてしまい、次に進めなくする仕組みというのは多くの人を暗くさせますし、将来を閉ざすことになります。ならば、高くても使えるという仕掛けを、どう工夫して実現していくかを考えたほうがいい。
 国が薬価を定められる場合には、ある意味暴力的に価格を下げることができる。公定価格で統制していくか、特許権などの規制を緩和して二次的な自由競争を促すか。後者、最初に開発した会社が企業として維持できるような水準を維持しつつ、価格誘導していくこともできるはずです。前者でも、単年などの短い期間で価格を見直していくことはやっかいなことかもしれませんが、対応はできると思います。組み合わせてもよいし、他のやり方もあるでしょう。
 その薬のコストによって、介護や他の医療サービスが阻害され、死亡者が出るということになれば非常事態です。しかし、高額な薬が登場しても、現在のところ医療サービスだけでなく食糧や他の生産業への影響はない。短期的に医療費が膨れ上がり、GDPの何十パーセントを占めてしまうという事態が起こり得るとしても、それは致命的な困難にはならないはずです。

(本文)
――高額薬価問題のステークホルダーには患者だけでなく臨床現場の医療者も含まれます。そうしたプロがコストを考えつつ診療に当たることはどれだけ現実性があるのでしょう。

 私たちはすぐに、「皆が関心を持つように」と言いますが、それは押しつけがましいことかもしれません。医療職の中に「コスト問題には関心はありません」「臨床のことだけ考えます」という人がいてもいいです。いたほうがよいとも思います。臨床現場の医療職全員が考える必要はないと思います。本質的に面倒な部分を含んでいる問題ですし、「お金の計算」が苦手な人はいるし、そんな人がお金のことを心配しだすとかえってよくない。ですが、行政の意思決定を左右するような人物が望まない方向に誘導することもあり得ます。それらを抑止するためにも、一定の興味と関心を持って医療職が議論に加わることは必要です。
 ニボルマブの価格が改定されて半額になり関心が弱まったという現実に対して、僕も心の一部で「こういう話は放っておこう」と思ってしまうところはあります。ただ、現に起きている問題です。現場から懸念や心配を表明する人もいる。となると、あえて無関心を装ってことを収めるよりは、ポジティブに受け止めたうえで、何か発言したほうがよいと思います。
 新薬を誰が審査し、承認するかという問題も同様です。現場の臨床家だからわかっている事情がありますから、そういう人も審査のメンバーの中にいてよいはずです。薬は実際に使ってみて初めてわかる部分もある。そもそもそういう商品ですよね。ただ、供給者サイドが強い決定権をもつのはよくない。薬価問題に限らず、医療制度にしても医師会や病院協会などといった供給者サイドが強い権力をもつことで起きている問題は多い。そもそも情報の非対称ゆえに供給側の優位が起こってしまうから、それを緩和するために第三者が関与するという筋の話です。ここで供給側の力が強いとしたらまったく意味がありません。薬の供給者は製薬会社ですから医師たちはその意味では供給側ではありませんが、共通の利害を有することもあります。医療側の参加が必要なのは、その部分についてではなく、あくまで知識を有する者としてです。

(本文)
――原理的な考えに立ち戻ってみても、今回の高額薬価のみならず医療コストの問題の解決には遠い道のりがあるように思えます。

 人が生きていくためには、確かにモノが要る。薬もその一部ですよね。モノをつくるためには、人間(人材)と自然物(資源)が要る。ここまでは間違いない。次に、人が生きていくために必要なモノを作ることが難しいという時、その原因には、人材がいないか、資源が足りないか、あるいはその両方が足りないかのどれかでしかありません。これも正しい。
 だが現実には人も資源もある。であれば、原理的には足りないということはない。ならば、心配はいらない。ここまでに間違いはないはずです。しかしこれだけでは説得力はない、んでしょうか。現実にコストがかかっているから問題になっているのであり、そのことを考えるための説得力のある論が必要なんだろうと思います。場合によってはお金の計算ができる専門家と一緒に仕事をして、本を書かなければならないと考えています。ただ、今回話したような、「手前の話」をする人がいないので、それはそれとして必要ではあると思っています。
 今回のお話した内容は以前に書いたことの繰り返しです。初めて読まれた方は「本当に?」と懐疑的に思われるかもしれない。そうして疑問を出してもらって、ではそれに対して、次に何が言えるかを考える、それをまた言ったり書いたりする。そういうことを繰り返して、皆さんにもっとすっと受け入れてもらえる話を仕立ててければと思います。
(本文ここまで)

文献
1. 有吉玲子.腎臓病と人工透析の現代史―「選択」を強いられる患者たち.生活書院 2013

備考|本文見出し込み:6902w(上限7000字)
6ページ構成 photo:なし 図表:なし


UP:2017 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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