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杉田俊介「誰とも争わない」続(補遺・13)

「身体の現代」計画補足・288

立岩 真也 2016/12/30
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1826310114302634

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立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙   『現代思想』2017年1月号 特集:トランプ以後の世界・表紙
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 「病者障害者運動史研究」は
http://www.arsvi.com/d/hsm.htm
「重症心身障害児施設」については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
 『現代思想』2017年1月号の特集は「トランプ以後の世界」。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#01
その号に載っている「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第13回。

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162288.htm
にもある。
 註(★01)は次回に載せる。


 「■杉田俊介:「誰とも争わない」
 […]
 七〇年に青い芝の会が争った相手は、この「守る会」、正確にはその神奈川県の組織だった。このことも連載でそして今度の本で紹介した。だから理念は理念として既にあって、しかしそこからもこぼれてしまうような人たちがいる、そこで…、という話の前に、いや同時でもよいから、どのような場に立つのかという主題がやはりあるのであり、そのことを考えるためにも、こうした標語の位置づく位置を見ておく必要があるということだ。  そしてそれは、その容疑者や、その人のように語ったり感じたりする人たちに、自分たちにどのようにものを言うのかということでもある。肯定されるものがあることはまったくよいことであるに違いない。しかし、生きていくこと、それもただ死なない程度に生きていくのでなくもっとのうのうと生きていくために、自分によいものがあることが必要なのでなく、そのことを言い示すことも必要でない。このような態度が作られていって、それは、近い場所にいるが同じではない態度との差異において示された。そして、そのような態度をもって争うこと、そこから引かないことが言われ、実際様々に争いがなされてきた。
 こうして、私は、明らかな障害者とそこははっきりせずかえって悶々としているようであるその人とを別建てで考えるより、基本的には、その青年(杉田は青年という言葉を使った)にもまた同じように言うのがよいようにも思う。このことは、対談と、対談のなおし、増補の際にも思っていたが、もっとぼんやりとしていた★01。今はもう少し強くそのように思うところがある。そのうえでなお、杉田が気にしていて私が捉えられていない部分があるようにも思う。それはまだよくわからない。本を読み、杉田の第2部を読み、第3部の行ったり来たりしてまた戻ってきてしまうようなその対談(討議)を読んで教えていただければと願う次第だ。」


UP:201612 REV:
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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