つまり何を言っているか。まずは単純なことで、いっしょに並べられる言葉がまずはただ並べられてよいものではないということ、たんにそれを知らないのだとして、それもまたよくないということだ。だから調べてものを書いて、わざわざ知らせようとしている。その「病者障害者運動史研究」は
http://www.arsvi.com/d/hsm.htm
「重症心身障害児施設」については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
北浦雅子は
http://www.arsvi.com/w/km31.htm
『現代思想』2017年1月号の特集は「トランプ以後の世界」。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#01
その号に載っている「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第11回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162287.htm
にもある。
「■杉田俊介:「誰とも争わない」
次に「全国重症心身障害児を守る会」については「生の現代のために・9」「15」「16」等に少しずつ記してきた([2014-(9),2016-2,120][2014-(15),2016-8,126][2014-(16),2016-11,127]、挙げた文献略)。この会が結成されたのは一九六四年であり、「発達保障論」を主張した側が共産党との結びつきが強かったのに対して――そのことも発達保障論を巡る争いが激しかったことと関係している――「誰とも争わない」という方針を掲げた。「争わない」というのは具体的には政府・与党の批判はしない、陳情して得るものを得るということを意味する。そしてそうした姿勢は六〇年代からしばらく、例えば自民党の厚生(厚労)族の大物議員や大臣たちに対して効果的だった、それはまったく合理的な行ないであったことも記した。
そして内部において、もっと争ってよいはすだと主張する人たちは抑えつつ、その争わないと言う人――創設以来夫が会長を務めその死後会長を北浦雅子が継ぎ、二人合わせて会長であった期間は五〇年ほどになる――自身も例えば次のように争っている。「最近、施設の先生に「重症児の親御さんたちは、みなさんよくがんばっておられますが、なかにはいろいろな方がいます。″うちの子は社会の子です。職員が世話をするのは当り前でしょう″などという親もいるのですよ」と聞かされたときには、私は血の気のひくような悲しみにおそわれました。たった一人のこうした親のために、すべての親が同じようにみられてしまいます。私たちの二〇年にわたる運動も、根本からくつがえってしまいます。いいえ、それは重症児の生命を危うくしてしまうのです、と私は叫びたくなります。/故市川房枝先生が長い問婦選運動をつづけられ、逝くなるまで、「権利の上に眠るな」といいつづけられたことを、私たちは忘れてはならないと思います。」(北浦、一九八三)
いちいち言葉を補わねばならないのも悲しいことではあるが、私は、「世の光」の人たちや「争わない」の人たちが、「命を護る」ことにおいて、すくなくとも「リベラル」な人たちや私自身に比して、とても頼りになる人だと思っている。そして私は、たしかにこれらの人たちと別の宗派に属しているのだろうが、だからことさらに差異を言い立てたいのでもない。ただ、言い立てなくとも存在する差異はあって、それはまずは受け止めるべきだと考えている。受け止めたうえで、たいした差異でないということになればそう言えばよいと思うのだ。
七〇年に青い芝の会が争った相手は、この「守る会」、正確にはその神奈川県の組織だった。このことも連載でそして今度の本で紹介した。だから[…]」