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杉田俊介「この子らを世の光に」続(補遺・11)

「身体の現代」計画補足・286

立岩 真也 2016/12/28
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1824817667785212

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『現代思想』2017年1月号 特集:トランプ以後の世界・表紙   立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙  
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 『現代思想』2017年1月号の特集は「トランプ以後の世界」。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#01
その号に載っている「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第11回。
 糸賀一雄(1914/03/29〜1968/09/18)については情報ないですが
http://www.arsvi.com/w/ik19.htm
「重症心身障害児施設」については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
「病者障害者運動史研究」は
http://www.arsvi.com/d/hsm.htm

 フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162286.htm
にもある。


 「■杉田俊介:「この子らを世の光に」
 […]
 〔杉田俊介の発言において〕いくつかのことが言われている。それに対して私はいくつか応じているのだが、ここでは一つ。糸賀一夫、「重症心身障害児を守る会」の箇所は最初はなかった部分だから、私の以下の発言もその場でのものではない。いったん私の部分のなおしを送った後、二〇日の杉田最終版が送られてきて、そこにいま引用した部分があって、それで急ぎ加えて二一日に私の最終版とした。

 「「この子らを世の光に」とか言わんきゃならないのかということです。糸賀一雄はじゅうぶん立派な人だと思いますけど。そして「守る会」の三原則の一番めは「決して争ってはいけない 争いの中に弱いものの生きる場はない」で、二番目は「親個人がいかなる主義主張があっても重症児運動に参加する者は党派を超えること」ですよ。それでよいのですかと。その青年やその主張の支持者とも争わないんですか、と。そしてこの原則は、一九六四年にできたその親の会がどういう道を行ったか、行かざるをえなかったかということに深く関わっている。そういったことを明らかにし考えよう、考えてもらおうと思って「病者障害者運動史研究」とか言い(立岩[2016/11/07])、「生の現代のために」という、あまり落ち着きのよくない題の連載をしているということはあります。」

 事実についてだけ確認する。糸賀一雄は、東京の島田療育園とともに重症心身障害児――大雑把には知的にも身体的にも重い障害のある子ども(やがて大きくなり、今は高齢者となっている人たちも多い)――施設として先駆的な施設である滋賀県のびわこ学園の創設他に関わった人である。(その後、連載で長く扱っている国立療養所が、結核療養者の次のお客として多くの「重心」の子を受け入れ収容していく。)
 この言葉は社会福祉の業界では広く知られている言葉で、「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」と言ったところがよいのだと言われている。重症心身障害児「を」「が」世の光「にする」「となる」というのだ。そしてこの事件の際にも、例えばこの事件のすぐ後に組まれたNHKの朝の座談会のような番組で親の会の人が――他には犯罪社会学者と精神科医などがいた――この言葉を持ち出したことを記憶している。  すぐ後に記すように六〇年代前半・中盤はかわいそうな子(と親)を救ってくださいということであった時期であり、その時にこの言葉は、いったんそうした姿勢とは異なるように思われる。しかし両立もしうるし、実際両立したのではある。さらに、糸賀と「発達保障論」はしばしば結びつけられ、そしてその――説明を省く――発達保障論は、一九七〇年代(以降)において、青い芝の会や(その会はすぐに脱退してしまう)「(全障連)」によって強く批判されたのでもあった。そしてその「発達」と「世の光」もまた異なる方向を向いているようでしかし両立しないわけではない。こうしてこれは単純な主張なのではあるが、しかし置かれている場所はすこし複雑である。
 そして、こうしたややこしいことをいったん措くとしても、前節に紹介した松山善三の映画と同じく、これがこの事件に、その容疑者に「効く」だろうかということだ。効かないと思う。例えばその容疑者(のような人)は「そのように言いたい気持ちはわかるが…」と言うかもしれず、「あなたがそう思うことは否定しないが…」と言うかもしれない。「世の光」と思う人にもさらに言い分はあるだろうが、話は平行線を辿ることになるだろう。
 実際「世の光」であることはあり、それを否定する必要はないと私は思う。ただ、「この子ら」が「世の光」であると言わねばならないかということである。そんな必要はなく、そのものを賭けて争うべきではない。この本でそのことを言った人たちを私は紹介し、そしてそちらを私は支持すると述べた。」


UP:201612 REV:
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史
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