糸賀一雄(1914/03/29〜1968/09/18)については情報ないですが
http://www.arsvi.com/w/ik19.htm
「重症心身障害児施設」については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
『現代思想』2017年1月号の特集は「トランプ以後の世界」。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#01
その号に載っている「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第10回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162285.htm
にもある。
「■杉田俊介:「この子らを世の光に」
本の第2部は杉田が本誌一〇月号の特集に寄せた文章に大幅に加筆した部分。そして本の第3部には杉田俊介と私の対談(本では討議となっている)を加えた。対談は一一月八日に行なわれた。こんなできごとについて何をどのように言ったものか、双方あまりあてのないまま話は始まって、やがて堂々めぐりぽくなり、時間は経ち、疲れもしたから、なんとか終わりまで行ったように思えた時、始まって二時間ほどで終わった。そしてそれを素早くまとめた原稿が一一月一三日に送られてきた。その後、幾度か原稿をやりとりするなかで、双方が自らの発言を補うことになった。前後の相手の発言と矛盾は来たさないように、削ることもないではないのが、主には加える。それは私たちが、すくなくとも私はよく行なうことである。
杉田の発言。
「僕は自分がNPOで支援者をやってましたから、小さな制度がいかに大事かということは本当に痛感してきました。そして制度はいかに動かないか、ほんのわずかな一歩、一ミリを刻むことがいかに難しく、ゆえにいかに大事か。そういう現場の困難や折衝、条件闘争の苛酷さをあまり知らない人たちが、抽象的な理念ばかりを主張して――「左翼」や「学生運動崩れ」にそれは多いという気が正直しましたが――現実をなし崩しにしていくことには、強い違和感を覚えていました。ただ一方では、かつての障害者運動などで綱領化されてきたラディカルな理念の力を、日々の中で実感することもありました。そういう理念のラディカリズムが、根本的に現場の疲弊や苦しさを支えてくれているのだ、という感じがあったんです。たとえば青い芝の綱領もそうですが、僕らのような重症児関連のNPOの場合、それこそ糸賀一夫の「この子らを世の光に」とか「重症心身障害児を守る会」の親たちの三原則とかですね。
しかしグローバリゼーション全盛の時代にあって、マジョリティとマイノリティの境界線に落っこちた、構造的には加害者であり同時に被害者のような、マジョリティのようなマイノリティのような、何かができるようなできないような、そうしたキメラ的な存在や身体に立ちながら、そこから出てくる理念性みたいなものも同時に必要ではないか、と思えるわけです。」
いくつかのことが言われている。それに対して私はいくつか応じているのだが、ここでは一つ。」