井形昭弘(1928〜2016)については
http://www.arsvi.com/w/ia04.htm
秋元波留夫(1906〜2007)については
http://www.arsvi.com/w/ah06.htm
上田 敏(1932〜)については
http://www.arsvi.com/w/us01.htm
第一相模原事件」?については
http://www.arsvi.com/d/et-2004s.htm
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
に関わって、『現代思想』2017年1月号に載る「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第8回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162283.htm
にもある。
「■二〇一六年に亡くなった井形昭弘、のような人
その後も亡くなった人はいた。二つの書類の間、二〇一六年に亡くなった人で連載と今度の本に関連する人では、映画監督・脚本家の松山善三(一九二五〜二〇一六)、日本尊厳死協会理事長他を務めた井形昭弘(一九二八〜二〇一六)といった人たち。
八月一二日に亡くなった井形については立岩・有馬[2012]で、そして今度の本の第1部第2章の「もう一つの相模原事件」(二〇〇四年)に関わる部分で――この事件のことは記憶されるべきだと考えたから――言及している。
そこで引用した文章、書いたことを繰り返さない。ただとくに第2章全般に言えることかもしれないのだが、私は遠慮深すぎたかもしれない。例えばこの人の文章のこの箇所を引用さえしておけばその含意は伝わるだろうと私は思うのだが、実際にはそうでないことがしばしばある。すこし言葉を足す。
そこで言いたかったことはまず、その人やその人を支持する人、師と慕う人たちの言論について、その主張の中身の差異はまずさし措いて、その言論の水準がとても低いことに私は困惑しているということだ。さらに、それでも一つひとつていねいに疑問点を示して議論しようとしている人たちがいた場であったことが、井形の熱心な支持者である同じ組織の副理事長の追悼文においては、理不尽な総攻撃を受けたという話になっている。その(追悼文を書いた)人は帰りの列車で悔し涙にくれたというのだから、その人がそのように受け止めたのは事実なのではあるだろう。しかしそのように受け止めれらてしまうということ自体がたいん悲しく残念なことである。さらに加えれば、その長尾という人のほぼ同じような質の文章が例えば新聞社のオンラインの媒体に掲載されてもいる。それも残念なことではあるが、しかし執筆と掲載自体は自由であるといったん認めるとして、しかし中立を重んずる日本の新聞社にある両論併記の習慣はここではどうなっているのだろうかとも思う。
といったことを書いていくと、書いている側の品格が失われていく。さきほどの、言論につきあうことの鬱陶しさということになる。けれどもそれは具体的な文言、証拠を示していないからだとしよう。これからは、一方でただ淡々と引用し、他方で中身を示さず解説する評価するといった無駄で失礼なことはしないようにしようと思う。
もう少し意味のあることを述べようとしてみる。井形自身はなにかまとまったことを書いた人ではなかった。書いてもらう必要もなかった。ただ学界・業界の首領の一人ではあり、様々に関わった。このような種類の人物がいくらかいる。例えば、井形に比べればものを多く書いた人として、秋元波留夫(一九〇六〜二〇〇七)という精神科医がいる。また上田敏(一九三二〜)というリハビリテーションの世界で著名な人がいる。それらがよい人であること、善人であることを否定せずに、しかしそれらの位置を測ることが必要な場合がある。秋元については本連載の一部がもとになった『造反有理』([2013])でいくらかを述べた。上田については、二〇一〇年、『造反有理』になった部分の手前(「社会モデルについて」序・1・2、「社会派について」1・2)でいくらかを記したのだが、そこはまだ本になっていない。そうした、もっともなこともたくさん言ったのだが、そうして時流に合致した、つまり論を検討するに際してはとくにその人たちの固有名を持ち出す必要のないことをいろいろと語り書き、学会や業界を率い、政府関係の委員会等にも関わって一定の役割を果たした人たちをどう扱うかということもまた一つの課題ではある。本連載の先月号で、筋ジストロフィーの研究所を作ろうとした(元)西多賀病院の近藤文雄(一九一六〜一九八八)が、その構想がかなえられす別の性格の施設にさせられてしまうに際し、その施設設立に関わった秋元に恨み言を述べているのを紹介した。そうした小さく狭い政治も見ておいてよい場合がある。」